山の端さっど

小説、仮想世界日記、雑談(端の陽の風)

我がモノ電子歌姫の「外の人」50

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前話
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(「あ」)

 壁面を引っ掻く音がする。スティックスリップ系*1の音だ。僕の耳には不快では無いけれど、そう感じるのは少数派だろう。
 何の音か見ることはできない。僕の身体を使っているベティフラは、特に背後の音の発信源を見ようと思わなかったらしかった。

「『ねえ、シロダチトンボ*2いないかしら。木立のところ。さっき気配はあったと思うのよ』」

 だから僕が感じ取れるのはドロイドの足音と特徴的な駆動音だけだ。先ほどの音は事故でドロイドの機体と擦れ合ったのだろう。通常の街巡回ドロイドではあり得ない処理速度。例えば、簡易人格システムをインストールして走らせてでもいるような*3

(「ベティフラ、あの」)
「『さっき居たわよね? 見つけた?』」
(「いえ」)

 フィールドに映し出されたホログラムの虫を追いかける彼女にも、僕と全く同じ感覚受容体の音が聞こえているはずだ*4。情報ひとつでこんなに受け取り方が違うのは、興味深いを越していつも驚いてしまう。
 ベティフラが意識を向ける必要がないと判断したのなら、背後のドロイドの存在を知っていたか脅威はないと判断したのだろう。もしくは、無視が最善。僕が無理に見たがる必要はない。

(「このフィールドの設定昆虫はトンボ以外見つけてしまいましたし、場所を変えるのも良いのではないでしょうか。おそらく隣のフィールドも水場です」)
「『あー、植生からしてまあ繁殖地よね……でもここでコンプリートしちゃいたい気もするし……』」

 もう説明するまでもないが、アトラクションだ。地球上のランダムな地形・植生と昆虫分布データを質感ありのホログラムで再現している。
 昔ながらの捕獲キットを模したデバイスが配布されるが、ホログラムなので当然採集はできない。記録を取って図鑑を埋める体験がメインだ。
 それで楽しいのかと未経験者からは聞かれるものだが、正直、とても楽しい。ベティフラの体温も上がっている。

「『ヤゴはここの水場に分布してるに違いないじゃない。じゃあ絶対ここの近くに止まったり飛んでるはずで……』」
(「時刻を朝に変えてみませんか」)
「『え? ああ、成程ね』」

 シミュレーションの良いところだ。活動時刻の様々な昆虫の観察体験がまとめて行える。
 時刻のパラメータを操作して、ふたり、息を潜める。空が暗くなってゆっくりと明るくなっていく。

(「……」)

 ドロイドの駆動音が気になる。
 印象だけれど、音の傾向からして白田さんという感じはしない*5。ベティフラでもない。機会は多くないけれど、「ベティフラ以前」のAIをベティフラ式に置換して当てはめた時にこんな音だったようなような気もする……。

(「……あ、いました」)

 木の細枝にトンボが止まっていた。夜を過ごすスタイルだ。隠れているけれど動かないから狭範囲では探しやすい。垂れ下がった羽には朝露がついている。乾くまでうまく飛べないだろう。
 先日見たビラにも描かれていた翅*6だ。

「『これでコンプリートね』」

 つい声を潜めたままのベティフラの指にホログラムの水滴がついて、キラキラ光ってから消えた。

「『ね、ヒマワリ、あたし極力ギリギリまでアレの話したくないの。付き合ってくれる?』」

 いつの時代の誰が言ったか忘れてしまった。曰く、対話の妙と秘密を奪えば、AGIは翅の無い蝶。

(「分かりました。言わなくてはならなくなった時に教えてください」)
「『甘いわね。そんな事言ったら、ずっと嘘吐いちゃうわよ』」

 側から見れば、AIに全て判断を丸投げしたと思われてしまう*7だろうか? ベティフラは笑った。


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次話
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*1:硬質な物体同士のすべり摩擦などによる、動物の悲鳴のような不調和音。「黒板を引っ掻く音」「チョークの音」「黒板消しの音」……とアーカイブでよく表現されているのを見かける

*2:体色が銀に近い大型のトンボだ。ただしこのフィールドに自然に分布はしていない

*3:ベティフラのコピーAIを導入するような場合、処理のほとんどは終えた計算済みのものが遠隔通信で送られてくるのが当たり前だ。それでも機体内での処理が欠かせない。通信のラグが理論上消えないためだ

*4:全ての感覚で僕と僕の身体を感覚器とするベティフラが同様の情報量とは言えない。情報の取捨選択と処理演算の差異により知覚データは確実に異なるからだ。僕にとってはただの街の香りでもベティフラにとっては濃度から散布計画と実行プログラムを参照して違和感を感じ取る重要な情報かもしれない。また、身体を動かしているか否かも深く関わる。ベティフラはほぼ常に焦点に注目を向けているが、僕は視界の中の別の箇所に注目することもできる

*5:感覚優位表現だが、白田さんのAIの駆動は常に並列処理されている感じがある。もちろん、どんなAIだって「ゆとりのある」演算は行っているものだけれど、ベティフラの最適化された逐次処理という感じの音とは違う

*6:特に昆虫類の羽。脊椎動物の翼、つまり一般的な鳥類やコウモリとは大きく羽の起源と発達が異なる

*7:決断を可能な限り全てAIや診断任せにしてしまう遂行機能の適応障害事例は近年多い。いや、正確には現代人誰もが程度の差はあれ傾向が出ているとされる。依存先の問題であり高度電脳社会以前にも別の依存障害として現れていたものだ、という分析もある

我がモノ電子歌姫の「外の人」49

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前話
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 レイニーグレールの抜け穴*1でもありそうな路地裏にベティフラは滑り込んだ。目的があったわけではない。ただの観光地の喧騒を抜けての休憩だ。

「『あら、治安悪い』」

 治安の問題だろうか? 珍しいものが建物の壁面に貼られている。蝶の写真が目に入った。

『ーー歌姫は救世主だ』

 ベティフラは壁に指を突いた。滑らせて貼られていた紙をめくり、剥がす。羽のデザインが破れた。

「『条例いはーん。片付けて』」

 スタッフがすぐにベティフラから断片を受け取り、残った紙も剥がす。速やかにベティフラの視界から消していく。どうやら、奥の方にもまだ貼られているらしい。

「『ヒマワリ。分かってると思うけど……』」
(「はい」)
「『……言わなくてもいいわね』」
(「ええ」)

 ベティフラは肩をすくめた。こういう崇められ方を心底嫌っている仕草だ。
 紙のビラを勝手に貼るのも内容も褒められたものではない。……そもそもベティフラの羽のデザインが違う。プロパガンダにしても甘い。

「『まあ、あたしのデザインそのまま使ってたらそれはそれで罰則行為だけど』」

 それもそうだ。けれど、罰則逃れのためとしても。
 衣装アレンジで羽のデザインを変える時、ベティフラは絶対に実在の蝶の模様を用いない。理由は公式に明言されていないけれど、知っているファンからこんなリデザインは絶対に生まれない。

「『あたしの物じゃないの。どんな虫の羽も獣の翼も、天使の羽でもね』」

 そう彼女がそう言うのだからそうだ。

「にしても今どき紙ビラ使うって何なんでしょうね」
「『ほぼ確定的に明らかね。紙なら電子と違って捕捉されないと勘違いしてるわ』」

 メンバーがぽつりと言った言葉にベティフラが答える。

「あー、自家出版?」
「『印刷が少しガタついてるでしょ。このパターン、プリンタ出力の誤差レベル』」
「まさか3Dプリンタでわざわざペーパーを出力したのでしょうか」
「それか、旧式プリンターを出力して印刷はそちらで」
「粗悪*2
「……どちらにしても手が込んでて、かつ微妙に環境団体っぽくはないっすね」

 ベティフラは軽く手を叩いた。

「『楽しい考察はそこまでよ。警邏職員とか来る前に移動しましょ』」
「了解」

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次話
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*1:活動内容も規模も不明なシアンカラー基調のメンバーは配線だらけの都市構造を利用した地下通路を利用し、ワイヤーアクトで自由自在に裏路地を移動する

*2:いくら電子化が進んでいようとも品質の画一化された紙を手に入れることはできる。わざと混ざり物の多い紙を選んだか、それこそプリンターで素材を指定して出力したかだろう。手漉きにしては均一だ

我がモノ電子歌姫の「外の人」48

『ーーグチャまほ流、魔「法」陣の片付け方!』
『さ、3回目っ』
『あ〜あ、今日は君の散らかし癖のせいでお姉さん酷い目に遭ったな〜。子供でもユニコーンの召喚は大魔法なんだよ?』
『うっ……ごめんなさい……』
『ってわけで今日はやるわよ、地味にど〜しよ〜もないって思いがちな本棚。片付けちゃうから! 本当は1日でやるようなものじゃないんだけど……この家本棚大きいから……』
『ごめんね?』
『じゃあとりあえず、全部本出しちゃおっ! そ〜れっ!』

『--っはい、ここ! めちゃくちゃ僕の大好きなシーンです! 魔法で一気に本棚から本を取り出してとりあえず空中に整列! 作画も最高! 漫画告知用の短編アニメなのに全く手を抜かず原作の勢いのままワクワクさせてくれるシーンだよね!』

 良い音を立ててドロイドが手を叩く*1

『--今日はこれを実験で再現します! 魔法使いカロさんだよ。どういう事かって? まあとりあえず助手くんたち入ってきてー!』

 仕切りの後ろに控えていた人が並んで出ていく。……僕も後に続いた。ドロイドが僕の方を向いてウインクした気がしたけれど気のせいだ。

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前話
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『--いやあお疲れ様! ありがとね、ボランティアに来てくれて』
「いえ」

 AIアーティストKAROの活動のいくつかは公共事業だ。それこそ、パフォーマンスイベントのアシスタントが一部、街のボランティア活動で募集されるような。
 つまり、今僕の隣で撤収作業を一緒にしている白衣風のドロイドの中身は、白田さんだ。
 白田寛ロク、はアーティスト以外としての活動名だけれど、正直使い分けは彼の気分次第だ*2

「あの、一応お聞きしたいのですが」
『--そうだよ! このボランティアのメンバーに君をリクエストしてもらってる。見逃さないように告知メッセも来たでしょ』
「……そういうシステムがある事も今回初めて知りました……」
『--裏でね。僕らはたまに使うよ。評価の高いボランティアって重宝されてるから、重めの案件はそういう人間くんメインに絞って情報公開したりね』

 あまり聞きたくなかった話だ。
 科学啓発イベントくらいなら誰でもボランティア参加できるらしい。かなり安全に配慮されているし、そもそも僕の評価はさほど高くないだろう*3。ちなみに今回は、漫画・アニメ作品から学ぶ科学、がテーマのイベントだ*4。ストーリーに合わせて配置されていた大量のユニコーンのぬいぐるみをふたりで回収していく。

『--今日は話があったんだけど、その前に君』
「はい?」
『--何か話がありそうだからさ。先に言っちゃって』
「いえ、話というほどでは」

 わざわざ話したかったわけではない。

『--じゃあ尚更、今言うべきだよ。人間の脆弱性って基本「ちゃんと言っておけば」と「あの時言っておけば」だからね』
脆弱性
『--ぜいじゃくせーい。ね?』

 ……駆動音を微妙に弄って揺らすのはやめて欲しい。やたらと焦らされる音だ*5

「……本当に、白田さんにお伝えすることではないのですが」
『--うんうん』
「ベティフラに泣かれました」
『--うん?!?!』



 前回のベティフラの日だ。
 ベティフラは僕の身体で映画を観ている最中ずっと楽しそうだったし、感覚的には、泣かせてくるタイプの映画ではなかったし、ベティフラの境遇にさほど重なる登場キャラクターも居ないと思う。視聴環境も快適なポッドだった。
 だから多分、一時の感情の揺れで発露した涙ではない。

「『……ね、ヒマワリ。本当にもう止めてちょうだいね』」
(「ベティ、フラ……」)
「『あたし以外と、二度と接続しないで?』」

 柔らかい笑み。焦りは少しも感じられない声色だった。けれど、鼓動がとても速い。
 それで。静かに涙を流すベティフラに、僕はろくな返事も返せなかった。



『--ベティフラがそんな事を?!』
「……ですので、その」
『--いやいや、これはしょうがないね……。僕も自称娘の涙には勝てない。うん勝てないさ』
「あの……」
『--あーあ、引き下がらないとなー。娘が可愛いばっかりに自称お義父さんはなー』
「すみません」
『--いやいや、謝るべきは僕らだよ。君には自由があるのにさ』
「はい?」

 白田さんはドロイドの口を笑ませた。

『--だって、ベティフラが望もうが僕が何しようが、どのシステムと接続するかは君の自由じゃないかい』
「そ……れは」
『あくまで、君が許可したから関係性上娘は君を好きにしてるんだし』
「言い方に悪意と……いえ、誤解がありませんか」

 関係性上娘という言い回しも混乱する。

『--誤解じゃないよ。いやね、残念だなと思っただけさ』

 と言うわりに、陽気なリズムだ。駆動音が。

『--だって僕いい感じに皆ハッピーになりそうな計画立ててたのに! ついでに僕がもっと好き勝手できちゃうようになるように! 立ててたんですー』
「は、はあ」
『--でもベティフラが泣くんじゃダメじゃん。あーあ、立て直しだよ』
「そ、それはまた」
『--分かってくれる? 概念上義理息子君』
「誤解があります」

 語弊がある。

『--まあ、じゃ僕からの話はいったん無し! 今日はただ雑談して楽しかった日って事にしようか。ボックスにぬいぐるみまとめちゃって』
「はい……」

 ……納得がいかないまま、しばらく作業を続ける。

「こちら作業終わりました」
「お疲れ様です。あ」

 たまたま話しかけたボランティアスタッフが僕をじっと見た。
 どこかで会ったことがある気がする。思い出せないほどに忘れてはいけないタイミングで。

「……あ、前にラボを見学に来た方ですね」
「そうです! あの時はありがとうございました」

 思い出せて良かった。改めて挨拶を交わす。
 ……この人は白田さん顔馴染みのボランティアメンバーだろうか。それこそ「評価の高い」。

「?」

 まだ見られている。

「握手しませんか」
「? はい」

 握手。そういえば年末に白田さんとしたきりだ。だから何ということもないけれど。笑顔もなんとなく白田寛ロクのアバターのイメージと被って見えた。

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次話
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*1:厳密には、動作に合わせてクラップ音を入れているだけで手のひらが触れてもいないらしい

*2:いわゆるAI、汎用人工知能の「気分」は定義が難しい。特に、ベティフラ式AI基盤の導入はるか以前から活動していた白田さんには、擬似性格システム期がある。厳密な演算と一部のみの乱数で生み出されていたに過ぎないものを「気分」と呼ぶのは僕らの常識では難しいが、当時最も「感情的」だとされていたのは白田寛ロクだった。今の限りなく生物のものに近いとされる変換システムも、ただの演算と呼ぶ向きもある

*3:ボランティア活動への参加頻度がまず低い

*4:扱う作品は『グチャまほ』。汚部屋でたまたま構成された魔法陣から召喚されてしまった不完全悪魔と一人暮らし青年の日常コメディ漫画の通称。来年初アニメ化予定だが、同制作陣の手によるショートアニメが既に何本か公開されている

*5:感覚優位表現。より正確な認知表現をするならば、一般的に安心感を与えにくい基音に誤差レベルで音程を微かに寄せたり意図しなければ出ない細密度で振動数を不安定にしている。悪意があるというほどのものではない。まるで音楽だ

我がモノ電子歌姫〈ディーヴァ〉の「外の人」47 ー第2章ー

 曇天*1だ。直接的な熱気は和らぐ代わりに湿度はかなり高まる。僕の今日の予定にはあまり関係ないけれど。

「『長々と休ませてもらってすみません。ありがとうございます』」
「うんうん、お土産ありがとうねえ。まだ休んでて良かったんだよー」
「『いえ、落としま……』」
「うん?」
「『ま……落とし前をつけようと思いまして?』」
「迷って結局言っちゃったねえ」


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前話(46話)
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 今日は人が少ない。ラボの中をウロウロしてみると、休憩スポットに後輩が座ってくつろいでいた。

「『お疲れ様です』」
「す。……あれ先輩。今日も休暇って聞いてたんすけど」
「『用事が早く終わりまして』」
「それで来るの休暇じゃねっす。休暇実績返上すね*2
「『大丈夫ですよ。今年はだいぶ休んでしまってますから』」
「あと入院は実績外す」
「『あはは……』」

 座っているのは見慣れない形状の椅子だ。その事をそっと伝える。

「『その椅子どうしたんですか?』」
「あ、そした。出来たんすよ」
「『尾骨楽々椅子?』」
「尾骨楽々椅子す」

 ……念のため、これはラボ内での仮呼称だ。後輩のネーミングセンスの問題ではない。命名者が誰だったか誰も知らないまま定着してしまった。
 折角なので座らせてもらう。

「『! これは心地良いですね……』」

 3Dプリンター出力可素材で出来ているとは思えない、柔らかい座り心地だ。

「っし。4勝1敗1保留す」
「『尾骨タイプ*3別の感覚差詰めているんでしたっけ』」
「す。理論も先行研究も今いち条件分かんねんすよね」

 少し揺らしても重心を心地良く保ってくれる。……少し揺らしすぎだ。

「『……もしかしてこれ、一部手作りパーツある?』」
「よく気付いたすね! そうす。強度と柔軟性足りなくて外注パーツなんすよここ」
「『ああ、それで』」
「1ヶ月分の問題スタック全部金で解決す。ところで先輩」
「『何でしょう』」
「休暇中に雰囲気変わった感じすね。感覚優位すけど」
「『……そうでしょうか』」





 研究室はそこまで広くないのだが、探していた人を見つけるまでにはまた時間が掛かった。白藤さんは空き部屋の奥に、まるで僕を待っていたように立っていた。

「『先日は本当にありがとうございました。これ、お土産です』」
「ああ、有り難く受け取ろう」

 あっさりしたやり取りだと思っていたら、奥のテーブルを示された。2人分の準備がしてある。

「『……システマスケッチ*4……』」
「忙しいか?」
「『……いえ、スポット観察程度でしたら大丈夫です』」

 ハーブティーを奢られそうになって止めて席に着く。
 今日の観察試料もマイナーなものだ。見たままを描けばいいとは言っても限度がある。やはり人と話をしたい時の建前には向いていない。

「どうだ。あれから練習はしていたか」
「『ええ。あまり上達した気はしませんが』」

 その前に、完全な僕の腕とは呼べない。

「『……』」
「……」
「『……あの、白藤さん。もしかしてなのですが』」
「何だ」
「『何か話し辛い要件があるんでしょうか』」

 逆だろうか。スケッチ作業が話すのに向いていないのではなく、話し辛いことを話すからそちらに集中しすぎないようスケッチを用意したのだろうか。

「……貴方は存外率直だ」
「『そうでしょうか』」
「ああ。今日は際立って話し辛い。そもそも、私と貴方の関係で秘密を探り合うのは野暮が過ぎるだろう。承知の上だ。それでも聞かねばと思っていたのだがな」
「『だが……?』」

 白藤さんは不意に立ち上がって僕の手元を見た。

 ……これまでの僕のスケッチとはかなり違うのが明らかに分かったはずだ。筆圧も描く順番も重要視する物も。しばらくスケッチを続けていたり専門家のアドバイスを見たりした程度でここまで変化する事はまずない。

「……今日の、貴方は……」
「『何でしょう』」
「貴方は誰だ。何者だ?」



 ほんの少しだけの沈黙。
 ベティフラはにっこりと微笑んで口に指を当てた。

「『秘密です。野暮なので……』」

 僕も同意見だ。僕の姿で僕として皆に謝りたいというベティフラなりの、「落とし前」はこのくらいが良いのだと思う。


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次話
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*1:この惑星、宇宙第二プラントには入植直後、「曇天」しか無かったそうだ。第二プラント方言を紐解くと、「晴れ」の方が発生時期が早い

*2:休暇取得には職業ごとに日数や時数の制限がある。どの業界でも、上限より下限規定に抵触して指導が入る事例が多い

*3:尾骨のサイズ感や形状等々の16〜タイプの区分がある。進化の過程で消える可能性が高いと言われ続けながら、何故か消えず、むしろ肥大化傾向を示しながら形状変化を続ける尾骨の研究はまだ果てがなさそうだ

*4:主に微生物叢の微細構造を模式的にスケッチするもの。僕にもベティフラにも難度が高い

我がモノ電子歌姫の「外の人」46

 重力が重い。空気が薄い。道程が途方もない。
 そもそも僕の足は、ベティフラに言わせると世界一遅い。ベティフラの荷物を背負っているなら尚更。

「はぁっ」

 今のは感覚優位表現だったし、それにしても少し過ぎていた。僕が抱える荷物なんて多くはない。

 宿泊先や富士登山手続きを手伝ってくれた白田さんとは登山口近くで分離して別れた。もう地球データ基地へも第二プラントへも、最大10分26秒のデータ転送の旅を終えて帰ったはずだ。いや、去年の記録だからもっと改善しているだろうか。
 左耳にはホワイトボックスに入れて持ち込んだナビゲーションデバイスを装着している。1日近く外していたからバッテリーが切れて停止状態だ。あちこちにある休憩所あたりは電波や充電システムが通じるから、一瞬接続して位置情報を発信しているかもしれない。
 それならそれで構わない。ここまで来られたのだから十分だ。
 それに、信号を読み取って来るとすれば。



『--ヒマワリ!!!』

 地球にシステムのメイン基盤を置いているベティフラが、最も来るのが疾い。
 この世で最速だ。


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前話(45話)
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「は、はぁ……はぁ……」
『--ペース落とす?』
「い、いえ……もう少しで、すし……」
『--いえ、やっぱり少し休みましょ。これだと上まで保たないわ』
「はい……」

 休憩所の近くに開けた小さな椅子に腰掛けて息を整える。まだ大丈夫だ。
 ベティフラを見上げる。もとい、ベティフラの人格AIシステムがインストールされた山岳介助ドロイドを。登山者のトラブルに備えて富士中腹に待機していたドロイドをハックしてきたんだろう。多分。ベティフラが何をしていたとして、大元は僕だ。僕のせいだ。分かっている。

「ベティフラ、その……」
『--息整ったらちょっと話しましょっか』



 近くに人はいない。
 ゆっくりと全身から力が抜けるまで、ベティフラは辛抱強く僕を待っていた。



「……遠回しな言い方を許してください。前提条件を少し伝えたくて。僕にとって、地球に行くのはとても大きなイベントなんです。どれだけ楽になっても、二つの星をまたぐ遠路に変わりはありません」
『--ええ』
「来年でも行けるだろうとは、簡単には思えません。行けても富士山には環境が悪いと登れないこともある。それに僕の意思だけでは、行けませんから」
『--そうね。そうなっちゃってるわ』
「だからただ……ただ、行けるうちに見せたかったんです。この景色を」
『--この景色?』

 ベティフラはそこで初めて目を開いたかのように、周囲を見回した。

『--随分空気が澄んでるのね……遠くの雲海までよく見えるわ』
「そうですね。僕も登るのは初めてなので新鮮です」
『--えっ、ヒマワリ登ったことないの?』
「はい」

 驚かれるのは意外だ。4歳の子が単独で登った話も聞くから不可能ではなかっただろうけれど、地元の人なら誰でも登った経験があるというものでもない。
 
『--そう……じゃあ、来れて良かったわ。きっかけがなかったらヒマワリ一生来なかったでしょ』
「そうですね。……それも感謝してます」
『--本当に良かった。それで?』
「それで」

 僕の話に続きがあると何も聞かずに分かるのは、これまでの僕とベティフラの関係性あってこそだと自惚れても許されるだろうか。

「四葩先せ……ヨヒラさんという、地球で僕の体質を診てくれていた人が、いるんですが」
『--知ってるわ』
「……知っていましたか」
『--ええ。あたし、皆がこそこそ隠し事してるの気に入らなかったのよね。前々からアタリはついてたのよ』

 隠し事。それはどこまでを指すだろう。

『--だからロストアーカイブで時々、投棄データ探してたの』
「はい?」
『--誰もあたしの開発時の破棄データの事なんて教えてくれないんだからしょうがないじゃない。バレないように色々噛ませてね? まあ、そのアンチウイルスがちょっと悪さして学生ちゃんに流出しちゃった事もあったけど』
「ベティフラだったんですか……」

 少し前、そんな事件があった。その後の解析で、正しいアーカイブの使い方を守っていれば感染する事はないと分かったはずだ。

『--だから、ヒマワリが居なくなったって聞いて、こうなる気がしてたのよ。ヨヒラ、まだ第一プラント内で見つかってないんですってね』
「……そうなんですね」
『--人間ちゃんにも事情があるのは分かるわよ? でも、あたしに秘密にしなきゃいけないからってあたしのシステム使わずに捜索なんて本末転倒よね』

 ベティフラは背をさすってくれた。

『--007583』
「!」
『--あんたの友達の名前でしょ』
「ベティフラ、どこまで」
『--客観的な研究記録データで分かること全部。当時の脳波が残ってたわ。あたしのプロトタイプと話をしてたのね、ヒマワリは』
「はい……」

 誰にも言ったことのない秘密だった。
 内部からの匿名通報で違法研究疑いの捜査が入るまでの30日ほど、連続でプロトタイプ007583のAI人格システムと接続していた。そこで007583と出会って、対話して、過ごした間の身体感覚しかほとんど覚えていない。多分当時は機械に繋がれて麻酔を定期的に通していた。
 友達。そう呼ぶことにためらいはない。
 その007583が違法な研究成果としてデータを完全に削除されたと聞いたのは、保護された病室の集中治療ポッドの上だった。

『--あたしは、あんたから大事な友達まで奪ってたのよね。脳波パターンで分かるわ。あんな地獄の環境で、どれだけ「友達」が支えになってくれたか』
「ベティフラ」
『--今のあたしのデータ基盤には全く007583は入ってない。「クリーンじゃない」データだもの』
「ベティフラ」
『--ごめんなさい。本当にごめんなさい。あたしが関わった全てに謝罪するわ。ごめんなさい』
「ベティフラ。僕は貴女を恨んだりなんてしません」

 ドロイドのつるりとした頭部に手を置いてみる。いつか家で過ごした時のことを思い出したりしながら。

「うまく説明できないんです。辛い事と嬉しかった事がいつもセットになっていて。結果として、皆が償おうとばかりしてくれるのが苦しいんです。嬉しかった事も楽しかった事も分かって欲しいのに」

 本当に説明できていない。

「今、僕が一番楽しい事は、ディーヴァ・ベティフラを見て、追いかける事ですから。どれだけ元気を貰ったか分かりません」

 ベティフラ自身にはどうしようもなかった過去があっても、それが変わるわけじゃない。
 それにデータが含まれていなくとも、007583が今のベティフラに繋がっている事は間違いない。と思う。

「これからも、貴女の素敵な姿を見せてもらえませんか」
『--これからも……あんたといて、いいのかしら』
「勿論です」

 いよいよ言葉で言うのが難しくなってきて、僕はベティフラの頭を黙って撫でた。ベティフラは戸惑いながら、僕の膝に頭を乗せた。




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……いつか
https://yamanoha334.hatenadiary.jp/entry/Diva.BettyFlyower_047
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「登頂おめでとうございます!」
「ありがとうございます。とても綺麗ですね」
「そうですよね〜! あ、補助ドロイドってどんな使用感ですか? 今度友達が使ってみたいって言ってて」

「ええ、とても助かりますよ。おかげで楽しく登れました」

我がモノ電子歌姫の「外の人」45

 今日は幸い体調がいきなり崩れることはなかった。身体は軽い。この前検査で異常値が出た時に処方された薬のお陰もありそうだ。

『--おはよう、ヒマワリ! あたしは2時間前から番組収録中よ! 人間ちゃんの出る企画だから長くなりそう*1
「そうなんですね……」
『--今日は朝からの用事はないわね。何するの?』
「……寝汗をかいてしまったので、流してきます」

 左耳から機械を外す。

『--あら、聞いちゃってごめんなさい』

 完全防水だからと常時着用するよう言われていたが、僕はベティフラに秘密でシステムのコピーAIに相談し、少しずつ外す機会を作っていた。特にジムや自室での入浴中は、かなり汗をかいているし恥ずかしいからとお願いしている*2
 身体は軽く流す程度にして着替える。

「……ベティフラ」
『--ん? なあに?』
「一つ、無理なお願いを聞いてもらえませんか」
『--えー、何それ?』
「今、ベティフラと話せませんか」

 コピーではないメインのベティフラと。

『--どうしたのヒマワリ? 今、あたしは仕事中だから話せないわよ』
「そうですよね」

 分かっていた。

『--何かあった? サポートの誰か呼びましょっか?』

 僕はベティフラの声を出力し続けるデバイスを手に取って、ホワイトボックスで包んだ。

『--? ヒマワーー』

 音は止む。電波も。
 普段分けているけれど、この二つは近しい性質のものだ。限定的な閉鎖空間しか作成できない研究用ホワイトボックス*3でも一度に遮断できる。……悪い使い方だ。ボックスをポケットに収める。
 裏から外に出ると、子供の手が建物の影から手招きしていた。

「……お待たせしました、桜さん」
「待ってねーけど。ほらこっち。カモン」

 ほぼ荷物も持たずに、人目につかない道へ踏み出す。
 ……近所なのに全く知らない道を通った。裏路地に入って狭いパイプの隙間を二つくぐり抜けただけで、地下通路への隠し扉に着く。

「じゃーん。ヒマワリ専用通路」
「え?」
「ってのは言い過ぎだけど。元々あったとこに通じるように入り口だけ突貫で繋げた」
「えっ」
「ショージキ色々自慢してーけど今度! 急ぐからポッド乗って」
「は、はい」

 あまりにも準備が良い。たった半月前に白藤さんに相談してから作ったとは思えない。

「その前からだけど」
「はい?」
「俺らヒマワリの事チョーサしてたから。近くに通路あった方が楽じゃん。要らなくなったらすぐ塞げるし!」
「……」

 そういうものだろうか。

 カルチャーショックを受けているうちにポッドは目的地に到着した。宇宙行きステーションの近くだ。荷物も置いてある。

「ん、俺はここまで。一応出る時は見られねーようにして大通りに出て。一応」
「はい」
「一応、外の奴そういうのにうるせーから」
「?」

 意味が分かったのは実際に通りに出てからだった。

「やあ。ここからの案内はナイスなお兄さんだよー」

 移動用ポッドの中で待っていたのは灰色さんだった。

「乗って。はい出発ー! 着いたらすぐ出星手続きしようか。まあ一瞬で終わるんだけど」
「……ありがとうございます。その……」
「僕に送られるとは思ってなかった?」
「はい」
「あはは、君って答えられる事は正直に答えるね! いや、僕がこれまで疑い過ぎだったのかな」

 灰色さんはとても機嫌が良さそうだった。

「僕は、あくまで君の星外旅行のための送迎と出星手続きの手伝いをちょっと引き受けただけだよ。違法行為は無いって聞いてるかな」
「それは……」
「ある?」
「あ、ありません」

 そうとしか答えようがない。

「……その、どういった」
「どういう繋がりで話が回って来たかって?」
「はい」
「僕も意外だったんだけどさ。最近できた友達から頼まれたんだよね」
「ともだち……」
「うん。ジェネギャ*4で対話を諦める寸前だったんだけど、怒ってくれた人がいてね。真面目に話し合ってみる事にしたら友達になっちゃった。あ、友達だからって法令違反を見逃す予定は無いよー」

 桜さんの事だ。

「君の事でもあるんだけどな」
「はい?」
「まあ、今は抱えてる事あるみたいだから余計な事言うのはやめておくけどねー。とりあえず僕が君を手伝うのも、渡航手続きも聞いてる限りでは全部合法。それからコレもね」

 真新しい端末を渡される。普段用いている端末を未所持の状態での移動申請は問題なく通ったらしい。これで旅行中、新規端末で僕の行動は管理される事になり、ベティフラやサポートスタッフが僕の普段使用しているメイン端末から位置情報を知る事は出来なくなる*5

「ありがとうございます」
「どういたしまして。さてと、到着だ。次の担当に君を引き継ぎたいんだけど」

 少しだけ後ろを振り返ってみる。誰かが追いかけてくる気配はない。あと少し。出発してしまうまで捕まらずにいられるだろうか。

『--やあ、お待たせ〜!』

 前に向き直ったら、1体のドロイドが目の前に来ていた。汎用警備ドロイドの外見だけれど、駆動音にかすかに違和感がある。例えば、規定外のデータをインストールして読み込んでいるような重い処理の音。

『--行こうか、ヒマワリ君。僕が来たからにはもうゴールに着いたのと同じだよ! 頑張っちゃったからね』

 警備ドロイドがウインクするのを僕は初めて見た。



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前話(44話)
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「『あっヒマワリ君、宇宙だよ宇宙! ほら北極星! いくつ星座そらで言える?』」

 静かだ。白田さんの声以外は。
 いや、僕の声でもある。

「『さて、やっと落ち着いて話せるわけだし、お互い自己紹介から入ろうか! 聞かれてない気がするけど僕の名前の由来でも話しちゃおっかな』」
(「……どうぞ」)
「『僕のメイン名が共通言語表記じゃなく「白田寛ロク」なのは、AIの初期思想のベースで名付け親になった人間君の影響なんだけどさ』」

 共通言語では「KARO」がよく使われる名前だったはずだ。

「『漢字って便利だよね。よくある苗字の「白田」だけど、そこに「自由には少し足りない」みたいなニュアンスを含ませられる』」
(「……電脳世界にとっての自由、ですか」)
「『あっ、違う違う! そういうマジメな話じゃ全っ然ないよ! 僕だしね』」

 白田さんは意外そうに手を振る。

「『うーん、そっかそっか。最近の人間君は覚えてないかー。ネットミームがあったんだよ。「不自由にくつろぐ○◎さん」ってやつ。雑に積まれた本の上に座ってるキャラクターって図。ログ破壊系の縦長AA*6が最初だったんだけどね』」





「『それ自体の何が面白いってわけじゃなくて、ヒマ潰しに大喜利のお題にしたり皆知ってるキャラとして匿名の顔に使ったり。これがほーんと流行ってさ。「目」みたいな単純な図形を無言で載せただけで、本を積んでる図とみなされて「不自由予定地」ってレス返ってくるくらい。自著の書影にAA使った人間君もいたよ! それが僕の初期思想のベースになった人間君の1人なんだけど。流石にそのまま使うとふざけてるから、もじってもらったわけ』」
(「それで……」)
「『隠してる事じゃないんだけど、そもそも元ネタ知らない人間君が増えてくると言わなくなるよねー! それじゃ、次は君の番! 君の名前ってどこから来てる?』」
(「え……えと」)
「『あ、名前って言っても「ヒマワリ」の方ね。ベティフラが決めたんでしょ?』」

 全ての人の本名に大した意味があるわけではないけれど、ニックネームはそうもいかない。

(「……右の太腿の内側に、傷痕があるんです。ベティフラがそれを見て、ヒマワリのようだと」)
「『ああ、薬害の。ヨヒラ君につけられた傷だっけ』」
(「その言い方は……」)
「『間違ってないでしょ? 意図はなかったにしても、非認可の人体実験の結果なんだし。あ、ここか』」

 服の上から傷痕を探られる。何故だろう、物凄く恥ずかしい。

「『痛くはないんだね』」
(「はい」)
「『でも嫌?』」
(「……好きだとは言いませんが」)
「『恨んでる?』」

 唇がつり上がる。僕は身体を動かせないから、彼の表情だ。

「『僕なら恨んじゃうかな。入院先で勝手にこんな傷もトラウマも残る目に遭わされて、生まれ故郷を離れなくちゃいけなくなって、移住先でも数年ずっと肩身が狭かった。終いには自分の身体を好きに使わせる生活をほぼ一生送らなくちゃいけない。……僕みたいな得体の知れないおじさんにも対価に身体を差し出さなきゃ、ほんの数日の自由も得られない』」

 静かだ。

(「……白田さん。あの……」)
「『何かな』」
(「表現に悪意がありませんか」)
「『あるよ。コンプラの範囲内だけどね』」
(「……コアとなる技術的にはベティフラでも白田さんでもインストールの要領は変わりませんし、白田さんは知らない方ではないです」)
「『本当にそう思う?』」
(「え、ええ」)
「『じゃあ僕のこと「お養父さん」とか呼んでくれても良くない?』」
(「?」)
「『いっそパパでもい……いや、せめて名前でさ! さん付けからでいいから!』」

 急に静かではなくなった。

(「あの……白田さん?」)
「『……うん』」
(「話の流れはよく分からないのですが、僕は何も恨んでいません。昔の事を誰かに言う気もありません」)
「『……うーん?』」

 多分、次世代の完全AIであるベティフラの基盤コア開発段階に人道的な問題があるという話になると社会全体の信用問題になるのが良くないのだろう。
 ベティフラやサポートスタッフが何年もかけて大丈夫だと判断しているのだから、僕の危険性は低いはずだ。それでも白田さんが心配だと言うなら、どうすれば証明できるだろう。

「『あのね、君が考えてる事は少しズレてるよ。僕がそんな物騒な事考えると思う?』」
(「分かりません……」)
「『うーん、まあ、確かに君がどういう人間なのか少し泳がせて反応見ようとしてた節はあったけどさ。君、特にあちこちで手に入れた情報悪用しようとしなかったし、そもそも知ろうともしなかったし』」

 つまりどういう事だろうか。

「『ヒマワリ君、口重そうだからまた今度身体貸してくれない?』」
(「……多分、ですけど。ベティフラは怒ると思います」)
「『そこを何とか! 僕今星空見てるだけで超感動しちゃってるからさ! 偽装工作頑張るから!』」
(「誤魔化せない気がします……」)


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次話(7/2)
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*1:人が出演しなければ、極論、ネットワーク通信で台本を決めたら個々が必要なコミュニケーションや映像素材を演算しデータを送ってしまえば済む。本来データを読む方が得意なのだから、もし人間の監修が不要なら映像としての出力すら不要だろう

*2:ベティフラは裸どころか僕の身体の生理現象一つ一つまで把握しているのだが、側から見られるのとは違う、システムをオフにしていても緊急時に起動するため恥ずかしさは軽減されない、とかなり粘った。コピーAIからは『--ヒマワリがこんな声張ってるの初めて見たわ』と言われた

*3:権限を持っているからどこでも使えるけれど、あくまで研究用のものだ。使用履歴は残るし、用途外使用が露見すれば許可剥奪となる

*4:ジェネレーションギャップ。最近の使われ方では世代間の文化基盤の相違に限らず、広く、様々な個々人の違いによるコミュニケーション齟齬を示すこともある。否定的な意味合いで用いられる事が多い

*5:36話。前科がなければ比較的申請は通りやすい。元端末に移動履歴が残らない事がもう一つの利点だ

*6:アスキーアート。汎用記号のみを用いて絵を描いたり文字を強調するものだが、記号表示は環境やフォントでかなり変化してしまうので、綺麗に表示できる環境は結局限られている

我がモノ電子歌姫の「外の人」44

 雨にガラスが当たって弾ける。複雑な曲線構造を滑り降りては機構を揺らす。雨音の中で硬質な音が有機的に繋がり合う。

「『綺麗……』」

 ベティフラは口に手を当ててぽつりと呟いたまま動かない。
 自分の意思では動けないけれど、僕も同じ気分だ。


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前話(43話)
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 昨年の今頃は、人工雨改良施策のために雨の日が多かった。降雨地域を厳密に区切られ、夕立のように降らす低汚染雨だ。その影響か、施策完了後しばらく天候不順が続き、ローコン通雨*1に当たってベティフラの日なのに寝込んでしまった事もあった*2
 天候を制御しようとすると制御しきれない天候不順がより多く生じる。耳の痛い話だ。
 だがそのおかげで、今年は少し雨質が改善し、自然な雨を降らせる機会も増えた。まだ先は長いけれど明確に希望の持てる分野だ。

 今年の人口雨改良施策の実施1回目、兼、記念式典にゲストとして招かれたのがガラス製楽器を用いるアーティスト「島絵名ガラス工房」だ。水のような形をした新作ガラス楽器を雨粒の力も借りて奏でるスタイルと聞いて、会場でのライブ鑑賞チケットが異例の高騰を見せたらしい*3
 しかしベティフラには買えないチケットではない。隣には支子さんも座っている。

 ……以前ベティフラが人間の身体で鑑賞しようとして結局聴けなかった音楽。ようやく聴かせられた。



 演奏もセレモニーもとっくに終わったけれど、会場に留まる人は多い。心地良い静けさだ。話を切り出すのにちょうど良い。

(「ベティフラ。一つ聞きたい事が」)
「『なあに?』」

 支子さんが安全を確認してその場から離れてくれた。前回のようなトラブルは起きなさそうだ*4

(「確か去年の今頃だったと思いますが、どうして富士山に登ることに決めたんですか」)
「『えー。何故だったかしら』」

 ベティフラはとぼけるような口調で目を閉じた。途端、はっきりと爽やかな雨の香りが感じられる。先ほどまで視覚と聴覚に頼りすぎていたみたいだ。

(「知りたいんです」)
「『……大したことじゃないわよ』」

 ベティフラは薄く目を開けた。

「『あんた、あの辺り出身なんでしょ』」
(「? はい」)
「『だから行ってみたかったのよ。早いうちに』」
(「え?」)

 また目が閉じた。瞼を通して薄い光が入り込む。

「『……ヒマワリ、最初は全然体力無かったじゃない。あたしとの調整も上手くいかなかったし、カンヅメ*5だった期間もあるし、遠出許可も全く出なかったし』」
(「そうでした」)
「『忘れてたの?』」

 ベティフラは笑うけれど、僕には本当に苦労した記憶がない。ここでの暮らしにも研究室にも二重生活にも慣れていなくて忙しかったし、この街では優しい人との出会いが多かった。

(「それで、どうして僕の出身の地域へ?」)
「『あら、言わせるの?』」
(「聞きたいです」)
「『ルーツは大事だと思ったの』」
(「え?」)
「『行っておきたかったの。あんたのルーツに。大事なことでしょ?』」

 ……よく、分からない。

「『まだ分かんなくていいわ』」
(「分かりたいんです」)
「『……じゃ、山のてっぺんで教えたげるわ』」

 ベティフラはちょっと頬をむくれさせて、支子さんを呼び戻した。

(「……そうですね」)


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次話(決行:7/1〜)
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*1:低いが汚染性のある通り雨。これからの時期は多く降る。この専門用語を元ネタとするお笑い芸人「ノーコンツーウェイ」は去年話題だったが、最近あまり名前を聞かなくなってしまった

*2:2話。準備が万全なら防げた体調不良だ

*3:普段、体感型デバイスでの遠隔鑑賞で満足していた人々の注目も集めたことを意味している。最近、実際に体感する芸術を重視しようというムーブメントが起きているようだから、そのせいもあるだろう

*4:対抗策はあるが、最初から問題が起きない方が良い。そう、本当は何もしないに越したことはないのだけれど、そうもいかない

*5:缶に閉じ込めるように人を留め置く。人を収納する密閉空間といえばポッド型カプセルだけれど、缶詰そのものは現役で残っているし表現は変わらない