今日は幸い体調がいきなり崩れることはなかった。身体は軽い。この前検査で異常値が出た時に処方された薬のお陰もありそうだ。
『--おはよう、ヒマワリ! あたしは2時間前から番組収録中よ! 人間ちゃんの出る企画だから長くなりそう*1』
「そうなんですね……」
『--今日は朝からの用事はないわね。何するの?』
「……寝汗をかいてしまったので、流してきます」
左耳から機械を外す。
『--あら、聞いちゃってごめんなさい』
完全防水だからと常時着用するよう言われていたが、僕はベティフラに秘密でシステムのコピーAIに相談し、少しずつ外す機会を作っていた。特にジムや自室での入浴中は、かなり汗をかいているし恥ずかしいからとお願いしている*2。
身体は軽く流す程度にして着替える。
「……ベティフラ」
『--ん? なあに?』
「一つ、無理なお願いを聞いてもらえませんか」
『--えー、何それ?』
「今、ベティフラと話せませんか」
コピーではないメインのベティフラと。
『--どうしたのヒマワリ? 今、あたしは仕事中だから話せないわよ』
「そうですよね」
分かっていた。
『--何かあった? サポートの誰か呼びましょっか?』
僕はベティフラの声を出力し続けるデバイスを手に取って、ホワイトボックスで包んだ。
『--? ヒマワーー』
音は止む。電波も。
普段分けているけれど、この二つは近しい性質のものだ。限定的な閉鎖空間しか作成できない研究用ホワイトボックス*3でも一度に遮断できる。……悪い使い方だ。ボックスをポケットに収める。
裏から外に出ると、子供の手が建物の影から手招きしていた。
「……お待たせしました、桜さん」
「待ってねーけど。ほらこっち。カモン」
ほぼ荷物も持たずに、人目につかない道へ踏み出す。
……近所なのに全く知らない道を通った。裏路地に入って狭いパイプの隙間を二つくぐり抜けただけで、地下通路への隠し扉に着く。
「じゃーん。ヒマワリ専用通路」
「え?」
「ってのは言い過ぎだけど。元々あったとこに通じるように入り口だけ突貫で繋げた」
「えっ」
「ショージキ色々自慢してーけど今度! 急ぐからポッド乗って」
「は、はい」
あまりにも準備が良い。たった半月前に白藤さんに相談してから作ったとは思えない。
「その前からだけど」
「はい?」
「俺らヒマワリの事チョーサしてたから。近くに通路あった方が楽じゃん。要らなくなったらすぐ塞げるし!」
「……」
そういうものだろうか。
カルチャーショックを受けているうちにポッドは目的地に到着した。宇宙行きステーションの近くだ。荷物も置いてある。
「ん、俺はここまで。一応出る時は見られねーようにして大通りに出て。一応」
「はい」
「一応、外の奴そういうのにうるせーから」
「?」
意味が分かったのは実際に通りに出てからだった。
「やあ。ここからの案内はナイスなお兄さんだよー」
移動用ポッドの中で待っていたのは灰色さんだった。
「乗って。はい出発ー! 着いたらすぐ出星手続きしようか。まあ一瞬で終わるんだけど」
「……ありがとうございます。その……」
「僕に送られるとは思ってなかった?」
「はい」
「あはは、君って答えられる事は正直に答えるね! いや、僕がこれまで疑い過ぎだったのかな」
灰色さんはとても機嫌が良さそうだった。
「僕は、あくまで君の星外旅行のための送迎と出星手続きの手伝いをちょっと引き受けただけだよ。違法行為は無いって聞いてるかな」
「それは……」
「ある?」
「あ、ありません」
そうとしか答えようがない。
「……その、どういった」
「どういう繋がりで話が回って来たかって?」
「はい」
「僕も意外だったんだけどさ。最近できた友達から頼まれたんだよね」
「ともだち……」
「うん。ジェネギャ*4で対話を諦める寸前だったんだけど、怒ってくれた人がいてね。真面目に話し合ってみる事にしたら友達になっちゃった。あ、友達だからって法令違反を見逃す予定は無いよー」
桜さんの事だ。
「君の事でもあるんだけどな」
「はい?」
「まあ、今は抱えてる事あるみたいだから余計な事言うのはやめておくけどねー。とりあえず僕が君を手伝うのも、渡航手続きも聞いてる限りでは全部合法。それからコレもね」
真新しい端末を渡される。普段用いている端末を未所持の状態での移動申請は問題なく通ったらしい。これで旅行中、新規端末で僕の行動は管理される事になり、ベティフラやサポートスタッフが僕の普段使用しているメイン端末から位置情報を知る事は出来なくなる*5。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。さてと、到着だ。次の担当に君を引き継ぎたいんだけど」
少しだけ後ろを振り返ってみる。誰かが追いかけてくる気配はない。あと少し。出発してしまうまで捕まらずにいられるだろうか。
『--やあ、お待たせ〜!』
前に向き直ったら、1体のドロイドが目の前に来ていた。汎用警備ドロイドの外見だけれど、駆動音にかすかに違和感がある。例えば、規定外のデータをインストールして読み込んでいるような重い処理の音。
『--行こうか、ヒマワリ君。僕が来たからにはもうゴールに着いたのと同じだよ! 頑張っちゃったからね』
警備ドロイドがウインクするのを僕は初めて見た。
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前話(44話)
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「『あっヒマワリ君、宇宙だよ宇宙! ほら北極星! いくつ星座そらで言える?』」
静かだ。白田さんの声以外は。
いや、僕の声でもある。
「『さて、やっと落ち着いて話せるわけだし、お互い自己紹介から入ろうか! 聞かれてない気がするけど僕の名前の由来でも話しちゃおっかな』」
(「……どうぞ」)
「『僕のメイン名が共通言語表記じゃなく「白田寛ロク」なのは、AIの初期思想のベースで名付け親になった人間君の影響なんだけどさ』」
共通言語では「KARO」がよく使われる名前だったはずだ。
「『漢字って便利だよね。よくある苗字の「白田」だけど、そこに「自由には少し足りない」みたいなニュアンスを含ませられる』」
(「……電脳世界にとっての自由、ですか」)
「『あっ、違う違う! そういうマジメな話じゃ全っ然ないよ! 僕だしね』」
白田さんは意外そうに手を振る。
「『うーん、そっかそっか。最近の人間君は覚えてないかー。ネットミームがあったんだよ。「不自由にくつろぐ○◎さん」ってやつ。雑に積まれた本の上に座ってるキャラクターって図。ログ破壊系の縦長AA*6が最初だったんだけどね』」
「『それ自体の何が面白いってわけじゃなくて、ヒマ潰しに大喜利のお題にしたり皆知ってるキャラとして匿名の顔に使ったり。これがほーんと流行ってさ。「目」みたいな単純な図形を無言で載せただけで、本を積んでる図とみなされて「不自由予定地」ってレス返ってくるくらい。自著の書影にAA使った人間君もいたよ! それが僕の初期思想のベースになった人間君の1人なんだけど。流石にそのまま使うとふざけてるから、もじってもらったわけ』」
(「それで……」)
「『隠してる事じゃないんだけど、そもそも元ネタ知らない人間君が増えてくると言わなくなるよねー! それじゃ、次は君の番! 君の名前ってどこから来てる?』」
(「え……えと」)
「『あ、名前って言っても「ヒマワリ」の方ね。ベティフラが決めたんでしょ?』」
全ての人の本名に大した意味があるわけではないけれど、ニックネームはそうもいかない。
(「……右の太腿の内側に、傷痕があるんです。ベティフラがそれを見て、ヒマワリのようだと」)
「『ああ、薬害の。ヨヒラ君につけられた傷だっけ』」
(「その言い方は……」)
「『間違ってないでしょ? 意図はなかったにしても、非認可の人体実験の結果なんだし。あ、ここか』」
服の上から傷痕を探られる。何故だろう、物凄く恥ずかしい。
「『痛くはないんだね』」
(「はい」)
「『でも嫌?』」
(「……好きだとは言いませんが」)
「『恨んでる?』」
唇がつり上がる。僕は身体を動かせないから、彼の表情だ。
「『僕なら恨んじゃうかな。入院先で勝手にこんな傷もトラウマも残る目に遭わされて、生まれ故郷を離れなくちゃいけなくなって、移住先でも数年ずっと肩身が狭かった。終いには自分の身体を好きに使わせる生活をほぼ一生送らなくちゃいけない。……僕みたいな得体の知れないおじさんにも対価に身体を差し出さなきゃ、ほんの数日の自由も得られない』」
静かだ。
(「……白田さん。あの……」)
「『何かな』」
(「表現に悪意がありませんか」)
「『あるよ。コンプラの範囲内だけどね』」
(「……コアとなる技術的にはベティフラでも白田さんでもインストールの要領は変わりませんし、白田さんは知らない方ではないです」)
「『本当にそう思う?』」
(「え、ええ」)
「『じゃあ僕のこと「お養父さん」とか呼んでくれても良くない?』」
(「?」)
「『いっそパパでもい……いや、せめて名前でさ! さん付けからでいいから!』」
急に静かではなくなった。
(「あの……白田さん?」)
「『……うん』」
(「話の流れはよく分からないのですが、僕は何も恨んでいません。昔の事を誰かに言う気もありません」)
「『……うーん?』」
多分、次世代の完全AIであるベティフラの基盤コア開発段階に人道的な問題があるという話になると社会全体の信用問題になるのが良くないのだろう。
ベティフラやサポートスタッフが何年もかけて大丈夫だと判断しているのだから、僕の危険性は低いはずだ。それでも白田さんが心配だと言うなら、どうすれば証明できるだろう。
「『あのね、君が考えてる事は少しズレてるよ。僕がそんな物騒な事考えると思う?』」
(「分かりません……」)
「『うーん、まあ、確かに君がどういう人間なのか少し泳がせて反応見ようとしてた節はあったけどさ。君、特にあちこちで手に入れた情報悪用しようとしなかったし、そもそも知ろうともしなかったし』」
つまりどういう事だろうか。
「『ヒマワリ君、口重そうだからまた今度身体貸してくれない?』」
(「……多分、ですけど。ベティフラは怒ると思います」)
「『そこを何とか! 僕今星空見てるだけで超感動しちゃってるからさ! 偽装工作頑張るから!』」
(「誤魔化せない気がします……」)
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次話(7/2)
https://yamanoha334.hatenadiary.jp/entry/Diva.BettyFlyower_046
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*1:人が出演しなければ、極論、ネットワーク通信で台本を決めたら個々が必要なコミュニケーションや映像素材を演算しデータを送ってしまえば済む。本来データを読む方が得意なのだから、もし人間の監修が不要なら映像としての出力すら不要だろう
*2:ベティフラは裸どころか僕の身体の生理現象一つ一つまで把握しているのだが、側から見られるのとは違う、システムをオフにしていても緊急時に起動するため恥ずかしさは軽減されない、とかなり粘った。コピーAIからは『--ヒマワリがこんな声張ってるの初めて見たわ』と言われた
*3:権限を持っているからどこでも使えるけれど、あくまで研究用のものだ。使用履歴は残るし、用途外使用が露見すれば許可剥奪となる
*4:ジェネレーションギャップ。最近の使われ方では世代間の文化基盤の相違に限らず、広く、様々な個々人の違いによるコミュニケーション齟齬を示すこともある。否定的な意味合いで用いられる事が多い
*5:36話。前科がなければ比較的申請は通りやすい。元端末に移動履歴が残らない事がもう一つの利点だ
*6:アスキーアート。汎用記号のみを用いて絵を描いたり文字を強調するものだが、記号表示は環境やフォントでかなり変化してしまうので、綺麗に表示できる環境は結局限られている