山の端さっど

小説、仮想世界日記、雑談(端の陽の風)

我がモノ電子歌姫の「外の人」50

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前話
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(「あ」)

 壁面を引っ掻く音がする。スティックスリップ系*1の音だ。僕の耳には不快では無いけれど、そう感じるのは少数派だろう。
 何の音か見ることはできない。僕の身体を使っているベティフラは、特に背後の音の発信源を見ようと思わなかったらしかった。

「『ねえ、シロダチトンボ*2いないかしら。木立のところ。さっき気配はあったと思うのよ』」

 だから僕が感じ取れるのはドロイドの足音と特徴的な駆動音だけだ。先ほどの音は事故でドロイドの機体と擦れ合ったのだろう。通常の街巡回ドロイドではあり得ない処理速度。例えば、簡易人格システムをインストールして走らせてでもいるような*3

(「ベティフラ、あの」)
「『さっき居たわよね? 見つけた?』」
(「いえ」)

 フィールドに映し出されたホログラムの虫を追いかける彼女にも、僕と全く同じ感覚受容体の音が聞こえているはずだ*4。情報ひとつでこんなに受け取り方が違うのは、興味深いを越していつも驚いてしまう。
 ベティフラが意識を向ける必要がないと判断したのなら、背後のドロイドの存在を知っていたか脅威はないと判断したのだろう。もしくは、無視が最善。僕が無理に見たがる必要はない。

(「このフィールドの設定昆虫はトンボ以外見つけてしまいましたし、場所を変えるのも良いのではないでしょうか。おそらく隣のフィールドも水場です」)
「『あー、植生からしてまあ繁殖地よね……でもここでコンプリートしちゃいたい気もするし……』」

 もう説明するまでもないが、アトラクションだ。地球上のランダムな地形・植生と昆虫分布データを質感ありのホログラムで再現している。
 昔ながらの捕獲キットを模したデバイスが配布されるが、ホログラムなので当然採集はできない。記録を取って図鑑を埋める体験がメインだ。
 それで楽しいのかと未経験者からは聞かれるものだが、正直、とても楽しい。ベティフラの体温も上がっている。

「『ヤゴはここの水場に分布してるに違いないじゃない。じゃあ絶対ここの近くに止まったり飛んでるはずで……』」
(「時刻を朝に変えてみませんか」)
「『え? ああ、成程ね』」

 シミュレーションの良いところだ。活動時刻の様々な昆虫の観察体験がまとめて行える。
 時刻のパラメータを操作して、ふたり、息を潜める。空が暗くなってゆっくりと明るくなっていく。

(「……」)

 ドロイドの駆動音が気になる。
 印象だけれど、音の傾向からして白田さんという感じはしない*5。ベティフラでもない。機会は多くないけれど、「ベティフラ以前」のAIをベティフラ式に置換して当てはめた時にこんな音だったようなような気もする……。

(「……あ、いました」)

 木の細枝にトンボが止まっていた。夜を過ごすスタイルだ。隠れているけれど動かないから狭範囲では探しやすい。垂れ下がった羽には朝露がついている。乾くまでうまく飛べないだろう。
 先日見たビラにも描かれていた翅*6だ。

「『これでコンプリートね』」

 つい声を潜めたままのベティフラの指にホログラムの水滴がついて、キラキラ光ってから消えた。

「『ね、ヒマワリ、あたし極力ギリギリまでアレの話したくないの。付き合ってくれる?』」

 いつの時代の誰が言ったか忘れてしまった。曰く、対話の妙と秘密を奪えば、AGIは翅の無い蝶。

(「分かりました。言わなくてはならなくなった時に教えてください」)
「『甘いわね。そんな事言ったら、ずっと嘘吐いちゃうわよ』」

 側から見れば、AIに全て判断を丸投げしたと思われてしまう*7だろうか? ベティフラは笑った。


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次話
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*1:硬質な物体同士のすべり摩擦などによる、動物の悲鳴のような不調和音。「黒板を引っ掻く音」「チョークの音」「黒板消しの音」……とアーカイブでよく表現されているのを見かける

*2:体色が銀に近い大型のトンボだ。ただしこのフィールドに自然に分布はしていない

*3:ベティフラのコピーAIを導入するような場合、処理のほとんどは終えた計算済みのものが遠隔通信で送られてくるのが当たり前だ。それでも機体内での処理が欠かせない。通信のラグが理論上消えないためだ

*4:全ての感覚で僕と僕の身体を感覚器とするベティフラが同様の情報量とは言えない。情報の取捨選択と処理演算の差異により知覚データは確実に異なるからだ。僕にとってはただの街の香りでもベティフラにとっては濃度から散布計画と実行プログラムを参照して違和感を感じ取る重要な情報かもしれない。また、身体を動かしているか否かも深く関わる。ベティフラはほぼ常に焦点に注目を向けているが、僕は視界の中の別の箇所に注目することもできる

*5:感覚優位表現だが、白田さんのAIの駆動は常に並列処理されている感じがある。もちろん、どんなAIだって「ゆとりのある」演算は行っているものだけれど、ベティフラの最適化された逐次処理という感じの音とは違う

*6:特に昆虫類の羽。脊椎動物の翼、つまり一般的な鳥類やコウモリとは大きく羽の起源と発達が異なる

*7:決断を可能な限り全てAIや診断任せにしてしまう遂行機能の適応障害事例は近年多い。いや、正確には現代人誰もが程度の差はあれ傾向が出ているとされる。依存先の問題であり高度電脳社会以前にも別の依存障害として現れていたものだ、という分析もある