最も疾いエネルギーの流れは何だろう。音? 光? 宇宙? タキオン? 違う。
『喜びなさいよー、人間ちゃん達。あたしの歌声、宇宙の果てまでしっかり届けてあーげる♡』
宇宙的アイドル、電子の歌姫、ディーヴァ・ベティフラの生み出す熱狂だ。
地球と10分26秒の通信差がある宇宙第三ステーションでも、ライブの熱狂は変わらなかったというからきっとそう。
『だから聞きなさい? あたしの全てを……!』
最も遅いエネルギーの流れは何だろう。
「『ちょっと、あたし汗かいてきちゃったんだけどー?』」
彼女に言わせれば、それは僕の歩く速度だ。
(「……この大荷物があれば、どんな人でもこんな歩き方になりますよ」)
「『もっと鍛えといて』」
(「はいはい」)
「『あたし、来年には富士山に登るから』」
(「……本当に?*1」)
「『嘘言ってどうするのよ、あんたに。一合目からきっちり登るから、絶対用意しときなさいよ? 登れる身体を』」
汗を拭うハンカチ。
肩にかかる日傘の柄。
道を確かめて見回す首と、触れるスマホの硬さ。画面に当たる爪。
慣れない服と慣れない靴と知らないサングラス。
電子歌姫の「感触」を知っているのは僕だけだ。
……ついでに彼女の人間の好みも知っている。
そこそこ若くて、
電子データを脳に接続できて、
思うように自由に動かせる適性のある身体を持つ人間。今のところ僕だけ。
細かいことは僕も知らない。知らない方が良い。世を風靡*2するベティフラが、ただの「完全バーチャルアイドル」……いわゆる「中の人」が居ない純粋なAI人格存在であるだけでなく、実はバーチャル空間における重要な意味を持っているということ。それはもはや人間主導で進めることが不可能な領域であること。だから、この可愛らしい歌姫に国連が報酬を支払う必要があること。それくらい知っておけばいい。
彼女が報酬として要求したのはたった一つだけ。それ以外は何も望まなかった。
『あたし、生身の人間として過ごす時間が欲しいんだけど』
知っての通り「ディーヴァ暦*3」は12日周期だ。11日の活動の後、ディーヴァ・ベティフラは機器やAIシステムの定期メンテナンスやアップデートに合わせて1日活動を休止する。
でも実際には、メンテナンスは24日周期で事足りるらしい。その代わり、24日に1回、必ず彼女は僕になる。
目の前が少し揺らぐ。ベティフラの思うがままに動く体が、ベティフラと意識だけの僕へ、軽い軽い渇きを囁いた。
(「ベティフラ、水分補給を」)
「『分かってるわ』」
マスカラを付けてもなお短いまつげに汗を一粒つけて、きらきら笑う。
血管の浮き出た腕を可愛い袖と腕輪で包んで元気に振る。
48日前の失敗から学んで、軽めの装飾に留めたネイルアートが光る。
意外にも染められたことのない黒い髪が、今朝巻かれたそのままの形でふんわりと揺れる。
「『何ボーッとしてんのよ。この先右で合ってる?』」
(「……いや。ええと、ここはまだ真っ直ぐで、曲がるのはたぶん次の信号です」)
「『そ。はいツーショっ』」
(「!」)
「『あははっ、ヒマワリ間抜けな顔ー』」
僕に嘘はつかないと言うけれど、写真に切り取られたのはどう見ても一人分の人間だ。これは僕じゃない。
僕のよく知るベティフラには羽がない。触覚もない。僕をヒマワリと呼ぶ。ステージの上と同じように少しワガママで、少し高飛車で、少し意地悪。
今だけはまるで自由に生きているように見える。
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次話
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