山の端さっど

小説、仮想世界日記、雑談(端の陽の風)

我がモノ電子歌姫の「外の人」38

 ころん。鈍い音が鳴る。研究室棟通路で、僕は咄嗟に左耳を押さえた。

「し、ら藤*1さん。お久しぶりです」
「……ああ、久しぶりだな」


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前話(37話)
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「一般研究生になってしばらくになりますね。ラボには慣れましたか?」
「まだ慣れるほど来ていないが、住めば都だな。絡繰仕掛けの都だ」
「そんなに多いでしょうか……」

 教授の趣味*2で仕掛けられた複雑な構造の電子仕掛けは確かに僕らの研究室の特色かもしれない。白衣姿でラボ全体をさっと指し示す白藤さんは、だいぶ慣れたように見える。
 僕はそっと、さりげない仕草になるよう気をつけて左手をゆるめた。ホログラムの射出口がフリーになって、耳から下がるチェーンと四角い金鈴*3が描写される。浮いた指はなんとなく首に当てた。もう鈴は鳴らない。

「貴方はどうだ。研究は進んでいるか?」
「残念ながらあまり。擬似細胞の気になる挙動は見つけているんですが、原因の特定が難しくて」
「そうか。そのうち見学しても構わんか?」
「はい、ぜひ。最近気づいたのですが、表面に面白い微生物叢が形成されることがあるんです。それも見ていただけたら」

 首筋をゆっくり指で叩く。間隔を変えて。

「成程。スケッチは?」
「……してみたのですが、その……何というか」

 白藤さんは軽く笑った。

「日々是精進だな。私も最近毎朝の日課にしているよ。手指動作が精密であるに越した事はないし、脳内で理解したものはアウトプット出来なければ片手落ちだ」
「そうですね。……では、僕はこれで」
「もう帰るのか」
「大きな荷物を受け取る予定がありまして」

 適当な言い訳をして、その場を離れる。



「ふー……」

 目を閉じる。僕が周囲を過剰に心配するまでもない。耳飾りの鈴のホログラムの中から、鈴に収まるほど小さな蝶の映像が飛び出した。

『--今のなあに? ヒマワリ』
「すみません、ベティフラ。なんだか驚いてしまって」

 呼吸を整える。声色は一定に。できるはずだ。

「レイニーグレールにはベティフラの事は知られていないと分かってはいるのですが、つい」
『--ふうん。あたし、そういう危なっかしいのに遭遇した時の調整のために居るって言わなかったかしら。気をつけなきゃいけない時はあたしが言うわよ』
「そうですよね……」
『--でも、ちゃんと警戒してるのは褒めてあげるわ。あたしはあくまでナビだもの』

 あくまでナビゲーターだ。分類としては。僕のデバイスに常に同期して、ベティフラの声と妖精の姿で周囲の危険をリアルタイムで探知してくれる。端末の3%を占め、僕の左耳にセットしたデバイスをサブ探知機として作動するシステム。追跡不可の仮デバイスを用いた先日の高下駄子ちるるのような事例があっても、これなら察知して対応できる。

『--とにかく、次回から耳押さえたりメッセージ送ったりはしなくて良いから。あたしに任せてね』
「はい」

 首筋を叩くリズムで送ったメッセージのことだ。記述式制音振動*4で、囁くように「何も言わないで」。

 ……伝わっただろうか。


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次話
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「先生っ」
「おお、桜。こんな所にいたのか」
「居たってか、来たってのか、行けなかったっていうか?」
「まあ、まともな大学の研究棟に子供が入り込む隙間は無いだろうな。安心したよ」
「特に先生の所属ヤバいんだけど何? あの防御システム」
「ただのあの男の趣味だよ。絡繰仕掛けだ」
「あの男って先生の先輩って人かー。納得。ちぇー」

「それより、ヒマワリの件だ」
「そうだった! 窓越しに見てたけどヒマワリ明らか様子おかしくない? 認識阻害ホログラムとか着けてたし!」
「やはり何らかの阻害機能が持たせてあったよな。かなり高価なものと見えた」
「それにアレ、先生へのメッセージでしょ? ホラ、この前ボスが記述式制音で接触したっつってたじゃん? なに? ヒマワリ盗聴とかされてんの?」
「……桜。記述式制音信号はあの研究棟レベルの研究者なら誰でも知っていておかしくない言語だ。それにその特徴から、視覚的にも聴覚的にも読み取りやすい。ボスが使ったのも耳目を避けられるエレベーターの密室内でだからだ。盗聴を受けているなら別の音を発さないサインで伝えればいい。見張られているなら指の動きなど使ってはいけない。現にお前が建物の外からでも読み取れた」
「あ、そっか。え、じゃ俺に見えるようにしたとか?」
「その必要がない。お前に気づいてもいなかったろう。……いや、監視盗聴している者にわざと気づかれるようにした?」
「んー? 変じゃん。直接先生に言ったら一瞬なのに」
「……とにかく、あの耳のホログラムが気になる。私に隠すそぶりを見せていたのがな。スピーカーも内蔵している気がする。調べられないか?」
「アレやっぱヒマワリの趣味っぽくないよなー。道でも歩いててくれれば調べんのは一発だよ」
「急ぎで頼む」
「リョーカイッ!」

*1:「白藤」。学外から参入する形を取っているため、厳密にはこの研究系職業活動名が戸籍謄本登録名でない可能性がある。法令的にも何の問題もない

*2:他の趣味は実地を走るサイクリングとランニングだ。走りながら書き仕事もするらしい。先日、学生達が密かに作成した教授の「燃費」試算データをたまたま目にした。雑な計算だが、教授は走行距離50kg超から急に研究成果が上がる性能をしているとか。学生への提出課題と試験課題が度を越すので日に100kg以上走らせることは推奨されないらしい。どうやって教授の走る距離のデータを入手したのかは謎だ

*3:正確には直方体の角とその周辺を滑らかな曲線にして繋いだもの。平面はほとんど残っていない。いぶし加工を施したような鈍い金色のテクスチャのため、反射面を細かく描写する必要がなく、リアル志向ながらコスト節約になっている

*4:主に研究者界隈で、ホワイトボックス越しに軽い通信をするために開発された通信用言語。冗長になるなどの欠点であまり普及しなかったが、視聴触覚のうち一つが使用可能なら発信・受信できる事、限定的なシステムなのに感情や声色のニュアンスを表現できる事に特徴がある。ただし可能というだけで、本来の用途で通信する際、感情や声色を表現する必要は全くない