山の端さっど

小説、仮想世界日記、雑談(端の陽の風)

我がモノ電子歌姫の「外の人」38

 ころん。鈍い音が鳴る。研究室棟通路で、僕は咄嗟に左耳を押さえた。

「し、ら藤*1さん。お久しぶりです」
「……ああ、久しぶりだな」


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前話(37話)
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「一般研究生になってしばらくになりますね。ラボには慣れましたか?」
「まだ慣れるほど来ていないが、住めば都だな。絡繰仕掛けの都だ」
「そんなに多いでしょうか……」

 教授の趣味*2で仕掛けられた複雑な構造の電子仕掛けは確かに僕らの研究室の特色かもしれない。白衣姿でラボ全体をさっと指し示す白藤さんは、だいぶ慣れたように見える。
 僕はそっと、さりげない仕草になるよう気をつけて左手をゆるめた。ホログラムの射出口がフリーになって、耳から下がるチェーンと四角い金鈴*3が描写される。浮いた指はなんとなく首に当てた。もう鈴は鳴らない。

「貴方はどうだ。研究は進んでいるか?」
「残念ながらあまり。擬似細胞の気になる挙動は見つけているんですが、原因の特定が難しくて」
「そうか。そのうち見学しても構わんか?」
「はい、ぜひ。最近気づいたのですが、表面に面白い微生物叢が形成されることがあるんです。それも見ていただけたら」

 首筋をゆっくり指で叩く。間隔を変えて。

「成程。スケッチは?」
「……してみたのですが、その……何というか」

 白藤さんは軽く笑った。

「日々是精進だな。私も最近毎朝の日課にしているよ。手指動作が精密であるに越した事はないし、脳内で理解したものはアウトプット出来なければ片手落ちだ」
「そうですね。……では、僕はこれで」
「もう帰るのか」
「大きな荷物を受け取る予定がありまして」

 適当な言い訳をして、その場を離れる。



「ふー……」

 目を閉じる。僕が周囲を過剰に心配するまでもない。耳飾りの鈴のホログラムの中から、鈴に収まるほど小さな蝶の映像が飛び出した。

『--今のなあに? ヒマワリ』
「すみません、ベティフラ。なんだか驚いてしまって」

 呼吸を整える。声色は一定に。できるはずだ。

「レイニーグレールにはベティフラの事は知られていないと分かってはいるのですが、つい」
『--ふうん。あたし、そういう危なっかしいのに遭遇した時の調整のために居るって言わなかったかしら。気をつけなきゃいけない時はあたしが言うわよ』
「そうですよね……」
『--でも、ちゃんと警戒してるのは褒めてあげるわ。あたしはあくまでナビだもの』

 あくまでナビゲーターだ。分類としては。僕のデバイスに常に同期して、ベティフラの声と妖精の姿で周囲の危険をリアルタイムで探知してくれる。端末の3%を占め、僕の左耳にセットしたデバイスをサブ探知機として作動するシステム。追跡不可の仮デバイスを用いた先日の高下駄子ちるるのような事例があっても、これなら察知して対応できる。

『--とにかく、次回から耳押さえたりメッセージ送ったりはしなくて良いから。あたしに任せてね』
「はい」

 首筋を叩くリズムで送ったメッセージのことだ。記述式制音振動*4で、囁くように「何も言わないで」。

 ……伝わっただろうか。


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次話
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「先生っ」
「おお、桜。こんな所にいたのか」
「居たってか、来たってのか、行けなかったっていうか?」
「まあ、まともな大学の研究棟に子供が入り込む隙間は無いだろうな。安心したよ」
「特に先生の所属ヤバいんだけど何? あの防御システム」
「ただのあの男の趣味だよ。絡繰仕掛けだ」
「あの男って先生の先輩って人かー。納得。ちぇー」

「それより、ヒマワリの件だ」
「そうだった! 窓越しに見てたけどヒマワリ明らか様子おかしくない? 認識阻害ホログラムとか着けてたし!」
「やはり何らかの阻害機能が持たせてあったよな。かなり高価なものと見えた」
「それにアレ、先生へのメッセージでしょ? ホラ、この前ボスが記述式制音で接触したっつってたじゃん? なに? ヒマワリ盗聴とかされてんの?」
「……桜。記述式制音信号はあの研究棟レベルの研究者なら誰でも知っていておかしくない言語だ。それにその特徴から、視覚的にも聴覚的にも読み取りやすい。ボスが使ったのも耳目を避けられるエレベーターの密室内でだからだ。盗聴を受けているなら別の音を発さないサインで伝えればいい。見張られているなら指の動きなど使ってはいけない。現にお前が建物の外からでも読み取れた」
「あ、そっか。え、じゃ俺に見えるようにしたとか?」
「その必要がない。お前に気づいてもいなかったろう。……いや、監視盗聴している者にわざと気づかれるようにした?」
「んー? 変じゃん。直接先生に言ったら一瞬なのに」
「……とにかく、あの耳のホログラムが気になる。私に隠すそぶりを見せていたのがな。スピーカーも内蔵している気がする。調べられないか?」
「アレやっぱヒマワリの趣味っぽくないよなー。道でも歩いててくれれば調べんのは一発だよ」
「急ぎで頼む」
「リョーカイッ!」

*1:「白藤」。学外から参入する形を取っているため、厳密にはこの研究系職業活動名が戸籍謄本登録名でない可能性がある。法令的にも何の問題もない

*2:他の趣味は実地を走るサイクリングとランニングだ。走りながら書き仕事もするらしい。先日、学生達が密かに作成した教授の「燃費」試算データをたまたま目にした。雑な計算だが、教授は走行距離50kg超から急に研究成果が上がる性能をしているとか。学生への提出課題と試験課題が度を越すので日に100kg以上走らせることは推奨されないらしい。どうやって教授の走る距離のデータを入手したのかは謎だ

*3:正確には直方体の角とその周辺を滑らかな曲線にして繋いだもの。平面はほとんど残っていない。いぶし加工を施したような鈍い金色のテクスチャのため、反射面を細かく描写する必要がなく、リアル志向ながらコスト節約になっている

*4:主に研究者界隈で、ホワイトボックス越しに軽い通信をするために開発された通信用言語。冗長になるなどの欠点であまり普及しなかったが、視聴触覚のうち一つが使用可能なら発信・受信できる事、限定的なシステムなのに感情や声色のニュアンスを表現できる事に特徴がある。ただし可能というだけで、本来の用途で通信する際、感情や声色を表現する必要は全くない

我がモノ電子歌姫の「外の人」37


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前話(36話)
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「『まさか下駄子*1に声掛けられるなんて』」

 ベティフラは頬を膨らませている。知覚的表現だ*2

(「すみません」)
「『あら、謝るとあんたが悪いことしたみたいじゃない。それより未来の決意が欲しいわ。どうしようもないお人よしになりたいんじゃなきゃ、面倒なのが道聞いてくるまで突っ立って待つのはやめなさいよね』」
(「はい……」)
「『ま、あたしも予想外だったもの。なかなか下駄子ちゃんも無茶するのねー。気をつけよっと』」

 ベティフラは目を開いた。優しい青空を遮るように花びらが降ってくる。桜だ。目を閉じたりはしない。触れる前にホログラムは視野保護範囲*3に到達して消える。届くのは穏やかな花色の香りだけだ。と、今度は目を瞑った。本物の花びらが頬骨のあたりに当たった。

「花見って良いわね……」

 大型水上ポッド*4で川下りをしながら、完全にベティフラは横になっている。一応直射日光が当たらない時間と構造になっているが、ほとんど気にしていない。寝ていても水面が作り出す光と影のゆらめきが視界の端に反射して映る仕掛けになっているから雰囲気を楽しめる。花は川岸に植えられた一目千本桜だ。何度もポッドが川に長く突き出した桜の枝の下を通るから、寝ていても楽しめる。……少しもったいない気もするけれど。ベティフラは少し眠たそうな声色を作っている。

(「何かありましたか」)
「『んー……ロストアーカイブ二次汚染事件とか?』」
(「ありましたね」)

 とある大学で、ろくに感染対策をしないまま学内ネットワークで違法にロストアーカイブ*5に接続した学生が旧時代の電子ウィルスに感染した事件だ。露見すれば問題になるとは気づいていたのか、感染したシステムをリセットしようとして十分な初期処置をしないまま大学のレスキューシステムに繋ぎ、レスキューにまで感染を拡大させた。かなりの汚染事故だ。

「『ヒマワリも時々ロストアーカイブ使うんでしょ? ちゃんと対策してる?』」
(「大丈夫だと思います。閲覧中から被識情報フィルタを起動させていますし」)
「『それだけ? 足りなくない?』」
(「作法というか、安全性を高める手段もありますから」)

 電子ウィルスなどを警戒するなら他とは接続を切ってしまうのが1番だ。僕のラボではよく、電波接続ができない有線専用の閉じた旧式システム機を使う。あまりに仕組みが古く研究データを盗まれる心配もないから、ロストアーカイブ以外にも意外と使う設備だ。教授の好きな絡繰仕掛けだけは施されている。

「『そういう配慮じゃなくて。あたしは心配だわ』」
(「手順を守ればアカデミーでも使用が許可されるものですから」)
「『じゃなくて。ヒマワリ脆いじゃない』」
(「もろい」)
「『脆弱性があるわ』」
(「ぜいじゃくせい……」)

 心当たりはあるし入院歴もある。

「『自覚しといてよね、あたしにはあんたが必要なんだから』」
(「はい」)
「『もうちょっと分かりやすく恥ずかしがりなさいよ』」

 鏡で見ずとも分かる。今の彼女は笑顔だ。完璧に作られた笑顔で、どこから見ても自然な表情で、隙がないことが何の悪印象にもならないベティフラだ。僕がどこにもいなくなったような安心感を覚えてしまう。

「『ヒマワリ。あたしが怖い?』」
(「あ……」)

 急な一言に、何も取り繕えなかった。表情も仕草も咄嗟の反応は何も形にならないのに、僕の身体を使うベティフラには何故か全て伝わっている。
 ……それでも、伝わるだろうかと考えてしまう。
 僕の表象*6が全て認識できたら伝わるだろうか。何も取り溢さず、ベティフラを傷つけずに伝えられるだろうか。

(「怖いです」)
「『そう』」

 ベティフラの体温がすっと下がる。かと思えば、すぐに弛む。ベティフラは何かを得て、僕は過ちを犯したのかどうかも分からないままだ。


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次話
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「『あ、そうだ。あんたに見張りを付けておくことにするから』」
(「見張り……?」)
「『ええ。また厄介な人間ちゃんとかにヒマワリが絡まれないように!』」
(「あの……?」)

*1:マルチタレント「高下駄子ちるる」。36話など

*2:つまり、実際に膨らませている

*3:光量の強いホログラム等が視覚に悪影響を及ぼさないように、あるいは個々の視野にセットアップされるデバイスに干渉しないように広域ホログラムは目の近くでは消えるようになっている

*4:ポッドと言っているが豆型ではない。豆型ではまだ、安定した水上静音低速移動が実現できていない

*5:放棄されたデータがほぼ無作為に保管・追加される非制限データバンクだ。内部は全く管理されておらず、法令違反にあたるデータも含まれるため、街民には少なくとも閲覧時と持ち出し時にデータをスキャンする事が義務付けられている

*6:「ひょうしょう」。脈拍、汗、体温、体内分泌物質、体臭、視線、瞳孔、震え、身体の揺れ、ぶれ、嗜好の変化、呼吸、歩幅、他者の反応、トラスツペラト反応、偶然性の事象への反応、嚥下、咳、感覚の鋭敏化、感覚の鈍化、手遊び、筋収縮、筋弛緩、痒み、痛み、鳥肌、眠気、覚醒、声にならない声、その他多くのものが様々なパラメータで示しうる、客観的に観測可能な人間などの内心の事。科学だが一世紀前の心理学ですら素人には扱えるものではないし、科学だからこそある程度偽る事もできる。奥深いテーマだが僕の専門ではない

我がモノ電子歌姫の「外の人」36

「ありがとうございます」

 いつもの精密検査*1を終えて、僕はさっとカルテを流し見る。
 検査名、担当医療ドロイド個体番号*2、患者氏名、年齢、性別。出身地球、宇宙第二プラント*3在住。診断結果良好、前回からの変化はわずかな疲労の蓄積。希望により軽い睡眠薬と栄養剤を3日分処方。気になる点は無し。

「ありがとうございました」


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前話(35話)
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「ありがとうございました」

 3人目。僕は見知らぬ男性と別れてまた歩き出す。
 よく道を聞かれるタイプだと自覚はあるが、今日は特に多い。ナビに頼っても分からないくらい困った人がたくさんいるというのも珍しい。思い付いてニュースを見てみると、地球からの船が複数来ているらしかった。珍しい。

「ちょっとあなた」

 冷たく甘い雰囲気の声が僕を横から呼んだ。

「はい」
「道を教えなさいな」

 綺麗な発声だ。どこかで聞いたことのある声。振り返って、どこかで見たことのある姿が目に入った。

「……」

 ……流石に年末の件で覚えている。
 マルチタレント高下駄子ちるる、まさにその人に見える。
 しかし、ベティフラが要注意人物としてリスト化した著名人が接近したのに、手元の端末が反応しなかったのはおかしい。他人の空似だろうか。

「何ですの?」
「あ……いえ、すみません。どちらをお探しですか?」

 マップを開くと、それを押しのけてもどかしげに彼女の持つマップの方を見せられた。違う。誰かのマップのスクリーンショットだ。

「ここですわ」
「ああ、ここは……甲種制限区域マップですね」
「コウシュ?」
「甲乙ランクの甲。こちらでの市民制限区分です。許可がない場所には入れないのでそもそも表示されるマップが違うんです」

 僕のものと同じだ。認可制で街民に与えられるもので、取得のハードルは高くないが、来たばかりの来訪者に既定で付与されることはない。彼女にもランク付与マークが見えない。

「ああ、それで。マップが全く違うと思いましたわ」
「ランクは隣エリアの役所で申請できます。外の方の認可には詳しくありませんが、そちらか一番早いはずです」

 もう伝わっているだろう。彼女の目的地のホールは制限区域だ。甲種ではないが、その次の乙種にあたる*4

「いいえ」
「はい……?」
「甲種の同伴で入るのが一番早いわ。あなた甲乙ランクとやらが甲種の人はご存じ?」

 僕のマップから情報を見たらしい。目敏い人だ。確かにこの場所は甲種の入域に同伴者のランクを要求していない。していない、けれど。

「ええと」

 警邏職員に連絡すべきだろうか。一般街民が責任を取れない事態が発生しそうな時には適切な対応だが、目の前の彼女は怒りそうだ。でも呼ぶべきだろう。「灰色さん」の連絡先に指を伸ばす。

「あら、もしかしてあなた、わたくしを信用できないと思っておいでですわね? 不愉快ですわね。不躾ですわ」
「は、いえ、そんなことは」

 ある、と言うと露骨に不躾になるが、知らない人を制限区域に連れて行けないのも事実だ。

「仕方がありませんわね」

 ゆらり。身にまとう雰囲気が変わった。うまく言えないが、大勢の人やカメラに見られることに慣れている人の動きだ。ホログラムによる演出をまとっているのも業界の人らしい。嫌な予感がする。
 そのまま、真っ赤なデザインの電子証明を僕に差し出した。

「わたくし、高下駄子ちるると申しますの。不肖ながら有名人ですわ。第二プラントの方でも流石にご存じでしょう?」

 やはり本人だ! 祈る偶像神は持っていないが、つい、年始に詣でた神々を心の中で唱える*5

「あの……」
「これで信用に足ると分かりましたでしょう? というかあなた、甲種地域のマップを開けるということはあなたも甲種を持っているんじゃなくて? あなたが案内なさいな。ホールに入ったら後は好きにして構いませんわ」
「あの、だいぶここでは……こういうことをすると目立つので……」
「あら」

 周囲の歩行者やカメラアイが次々と彼女を捉えていた。高下駄子ちるるのオフショットを。僕は画角から後ずさって離れる。

「ちょっとあなた、このわたくしを見捨てる気ですの?」
「滅相もないです……」




 結局高下駄子さんは、彼女のファンだと名乗り出た数人の女性たちの同伴として行くことになった。周囲の人からの撮影許可申請に僕の姿を隠すか削除するよう一律で条件をつけて、僕はその場を大急ぎで離れる。ベティフラサポートスタッフへも連絡を入れておく。

 あれはなかなか危険だった。
 現代ではほぼ使われることのない、端末未所持での移動申請。幾つかの条件を満たすと、普段使用している位置情報などの発信ツール*6から完全に身体を切り離し、新規端末で行動が可能になる。もし元端末がベティフラに位置情報を密かに閲覧されていても、申請中は行動経路を見られずに済むし元端末に履歴が残らないわけだ。犯罪利用が懸念されて条件は厳しいけれど、「推しのアイドルの小規模ライブにこっそり参加したい」くらいの動機で申請できる程度のものではあるらしい。

 彼女が長年ファン活動をしている男性AI人格アイドル集団「Ma! Charate*7」については、この前調べて色々と知った。
 ベティフラを完成とする「健全なAI人格プログラム」は、既存のAI人格に逆導入されて業界の「浄化」が行われた。違法性や倫理的に問題のあるデータセットや構造をベティフラコアに置き換えるという大変なプロジェクトだ。あのアイドル集団の中には、そのプロジェクト中に何らかの理由で多くの記憶データを消去せざるを得なかったメンバーがいる。そのことを気にするファンは多いらしい。

 彼女がベティフラを敵視しているらしいのにはそういう背景がある。
 ベティフラが彼女を警戒するのに無理はない。AI倫理問題は僕らの世代で確実に解決しなければならない問題だとも思う。
 だから、やるせない。


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前話(37話)
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*1:アイソレーションポッドに体を静置して行うタイプ。体表面に感じる電気刺激は相変わらずくすぐったい

*2:僕の受ける定期検査程度なら人間の医療者の滞在は必須とされない。その代わり、医療ドロイド及び準医療ドロイドの規定範囲内の滞在は必須だ。こうして必ず記録されることになる

*3:今年の高速通信最速記録は地球との差わずか2分41秒の惑星だ。来年30秒台達成を目指し通信システムの研究が進められている

*4:式典場や公演場は万人に開かれたもの、というのはかなり新しい概念だ。まだ制度が追いついていない。場所そのものに区域制限を掛け、イベントを行う会場によって客層を「篩う」のは一般的な手法であり続けている

*5:自称無宗教派の悪い癖だ

*6:一般街民などが閲覧できるデータではないが、ベティフラがが確認できて僕の端末に接近警告システムを仕込めるデータなのは確かだ

*7:発音は「マ・チャラテ」、イントネーションは「抹茶ラテ」。黄緑色と赤の差し色をカラーにする7人組男性アイドルグループ。ファンは自分たちのことを「マッカ」と自称する

我がモノ電子歌姫の「外の人」35

「はぁい、お待たせえ。きみからこんなに早く連絡が来るとは思わなかったねえ、白藤くん」
「私もその気はなかった……ですよ、先輩」
「うんうん、そうだねえ。最近入院したって聞いたけど退院おめでとうねえ。それで、彼のことだよねえ」
「……どうも。今日、彼は」
「来ないよー。ときどきそういう日があるんだよねえ、彼。何があってもぜったい来られないし、連絡しても返事が来ない日」

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前話(34話)
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「『やっほー!』」

 ベティフラの声は電脳空間によく響く*1。あるいは僕の喉から出る声で、シミュレーションボックスの中に響いてマイクに入力される声だ。

「『やっぱりレスポンス悪めね』」
(「直接空間上に描写するのとはそれほど違いますか」)
「『全っ然違うわ。違いすぎて転んじゃいそう。人体とデバイスで4つくらいステップ増えてるものね』」

 人間が電脳空間にアバターを映すときには、脳の指令をもとに身体を動かし、デバイスに読み取らせ、再び電気信号に変換して空間内に反映する手順を踏む。空間描写とほぼ同時に反映される歌姫の動きとは比較にならないだろう。
 でも、ベティフラは人間の速度を体験したいらしい。

「『たまに人間ちゃんがこうやるじゃない』」

 ベティフラはぎくしゃくした動きをしてみせた。

「『これ、何だろうって思ってたのよ。この前コラボした子に聞いてみたら、デバイスの構造が悪さするって聞いたのよ。こういう動きとかも、あー、これは無理ね。できないわ。ダンスとかでこの動き入れたい時は事前に録っておいたものを入れ込むって初めて聞いたわ。この部分だけ身体追随設定を変更したら踊れそうな気するけど』」
(「それだと、ズレた設定のダンスの癖がついてしまって生身で踊るときに困る気がします」)
「『ああ、なるほどね』」

 と、空間内に連絡が流れた。珍しいことだが、たまたまログインしたこのスペースに団体客が来るらしい。
 アナウンスを聞いて何人かが首を傾げる。いくらでも空間を立ち上げ可能なのに自分達専用の空間を作らず既存の特徴のない開放スペースに集団で入ってくるということは、待ち合わせか、そういう趣旨のイベントだろうか。

「『……隣に移動しましょ』」

 ベティフラがパッと動いた。ただ番号が隣り合う別の開放スペースに移動するのだ。視界内に小さな警告が出ている。

(「ああ……」)
「『避けましょ』」

 要注意人物指定、「プザ星*2」の接近が告げられている。ベティフラ専用機能だ。ということはやはり、そういうコンセプトのアポ無し大手メディア撮影なのだろう*3

「『移動するわよ』」
(!)

 これは、小さめのスケールで地球の風景を再現したエリアだ。富士山が見える。麓には街が広がっている。

「『あら、再現上手いじゃない』」

 ベティフラはディテールを見ようと歩き始める。人間の身体だからというより、電子的存在としての興味っぽい。

 ディテールというなら、建物が一つ足りない。

「『どうしたの、ヒマワリ』」
(「いえ、何でもありません、ベティフラ」)

 何が楽しいのか、電脳世界を当たり前に駆けていくベティフラを遠くからぼんやり見つめることはできない。身体を共有しているせいで。

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前話(36話)
https://yamanoha334.hatenadiary.jp/entry/Diva.BettyFlyower_036
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「……ボス。『ヒマワリ』は捕まらない。最近ラボにも最低限しか顔を出していないらしいし、
事あるごとに『一日拘束される用事』があるとか。逃げ口上だろう」
『アニヒレスト、口先だけじゃないよ。どんな一般人が僕らのクラックを掻い潜る行動ログ保護システムを常時起動し続けて、あれだけの捜索メンバーを口先だけで呼べるって?』
「……本当に堅気なのか」
『そこは間違いないけど、気になるところはあるかな』
「ボスの狙いは私にはさっぱり分からんが、何を待っていても自主的に連絡なんてして来ないぞ、彼」
『どうかな。これから次第。それで収穫は?』
「……ああ。先輩の話では確かに、彼は地球出身だ。富士山の近くに住んでいたことがある」
『大収穫』

*1:同空間内にログインしている他のアバターの迷惑にならないよう、近づかない限りミュートされる設定だ。許可した大声だけマンガの吹き出しのように文字で表現されて見える

*2:4話。大手メディアも御用達の3人組トータルコーディネーターチーム「リプザード」のメンバー「HOSHI」。バーチャルアバターで活動しているが僕らは素顔を知っている

*3:あまりアポ無し突撃系の撮影リポートスタイルは無くなってきたがゼロではない。出くわすのは確かに珍しいことといえる

我がモノ電子歌姫の「外の人」34

『--やっほー、ヒマワリ君。僕の事分かるかな』
「え、えと」
『--そしてそして、彼のことは分かるかな?』

 分かる、そして分からない。

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前話(33話)
https://yamanoha334.hatenadiary.jp/entry/Diva.BettyFlyower_033
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 遡ること数分前。僕は、朝焼けさんと一緒に歩いていた。

「今日はすみません。街民登録情報の更新*1に行くだけなのに、お休み中にお付き合いいただいて」
「いいえ、ベティフラ様のご希望ですから」
「……ベティフラは……」
「わたしも嬉しいです。仕事でなくともヒマワリ様のお役に立ちたいと思っているのですが」

 聞き間違い……ではない。さすがに。

「あの、その言い方は」
「ヒマワリ様。この後3時間空いていましたが、登録更新後、よろしければ街役所併設のカフェを案内させていただけませんか*2?」
「併設なんてされていましたっけ……」
「食文化保全施策の一環で最近出来たそうです」

 完全に予定も体調も把握されている相手からの誘いは、受けるのも断るのも勇気がいる。でも流されるように決まるのは不誠実だとも思う。1人でカフェに行ける人からの誘いなら尚更だ。

「……お昼を済ませられるタイプのお店でしょうか?」
「はい」
「では、そちらで頂いてみたいです。案内お願いします」
「喜んで」

 今年、ベティフラの日は15回ある。たったそれだけしかないとも言える。

「では、後ほど」
「はい」

 役所受付に向かうため、朝焼けさんと離れてエレベーターに入る。
 そして中で表情豊かなドロイドとキャップを目深に被った人と鉢合わせた。

『--やあやあ待ってたよ! あ、おじさん達が勝手に待ってただけだから気にしないでね』
「はい……?」
『--やっほー、ヒマワリ君。ぼくの事分かるかな。そして……』

 冒頭に戻る。いや、なんの説明にもなっていない。



『--いやね、1つの頭で実質ケルベロス君が居なかったらフツーに話しかけたかったんだけどさあ。居たじゃない監視が。どこか隙が欲しくって頑張っちゃった』
「監視ではありません……」
『--ここでは言葉を繕わなくて良いし、言葉の細かいニュアンスも気にしなくて良いよー。でさでさ! ヒマワリ君、さっきのクイズの回答はどう?』

 どう、と言われても困る。

「ええと。話し方と声からすると、貴方は白田寛ロクさん*3に似ていると思います。でも中身のことは確」
『--正解!』
「……それから、貴方は……その、シアンカラーのキャップというと、一般的に想像してしまう集団があると思うのですが」
『--そっちもほぼ正解で良いんじゃないかな、シアン帽くん』

 キャップの人は黙って頷く。目元には認識を阻害するホログラムが掛けられていて、顔が分からない。口元にマスクもしているので背格好しか分からない。
 なぜ白田寛ロクとレイニーグレール*4のメンバーが、一緒に居るのだろう。

『--この前、今度ゆっくり話しようって言ったじゃないか、僕』
「は、はい」
『--面倒に巻き込まれてそうもいかなくなったみたいじゃない、君』
「面……」
『--細かいニュアンスの差異は気にしなあい! で、ベティフラがちょっと面倒になっちゃってさ。僕も気軽に君に話に行けなくて困っちゃったからさ、解決してくれないかと思って』
「? 何にお困りなんですか」
『--君とお喋りしてみたいのにベティフラが譲ってくれないの! だって君SNSも私生活も全部ベティフラの監視下でどう頑張ってもこっそり連絡とか取れないもん!』

 ……聞き間違いということにしたい。

『--でさ、今も僕のための時間じゃないんだよね、実は。ここの彼がさ、君に話があるらしくって。自覚あるかなあ』

 ない。特に思いつかない。

『--賭けは僕の負けかー。重症だね、これは』
「はい?」

 と、キャップの人が端末を取り出して画面を叩いた。小さなノイズが端末から発信される。
 記述式制音振動? 研究者がホワイトボックス越しに軽い通信をするために開発されたものの、使用機会が限定的で流行しなかった、微かな振動で視覚、聴覚、あるいは触覚へ伝える言語で合っているだろうか?
 ……合っているとすれば、『早く話をさせてくれないかな。今時間に余裕があるのは白田さんだけだよ』と言っているように聞こえる。結構な低音と静かな物言いで*5

『--はーい。じゃ、好きなだけ言っちゃって、シアン帽君』

 帽子の彼は促されて僕の方を見た。目は見えないが、多分。

『桜から伝言。ありがとう。ヒマワリは今大丈夫? って』
「!」
『俺から提案。「午前3時にG音を聴かせて」』
「え……」
『あとは白藤から適当に聞いて』

 ……それだけノイズで伝えると、僕の肩を叩いてエレベーターから降りていった。



『--彼らっていつも言葉足らずだと思わないかい?』
「えっ、あの、白田さ」
『--彼はさ、君に感謝してるんだよ。リーダーとして、君がメンバーの危機を迅速に救ってくれた事に報いたいと思ってるわけだ』

 彼がレイニーグレールの、リーダー? その人を白田寛ロクも知っている、どころか関わりがある?

『--時間がないから説明は省くけど、今後自分がどうしたいかとかさ、考えてみてくんないかな。君が今息苦しいと思ってるならさ、僕達味方になりたいから』
「どうして……」
『--も、考えてみてね』

 もう片方の肩を叩いて、ドロイドもエレベーターを出て行った。


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次話
https://yamanoha334.hatenadiary.jp/entry/Diva.BettyFlyower_035
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*1:街民当人か、電子委任状および電子スキャンデータを所持した代理人が必ず街役所に直接行かなければいけない、あの身体情報更新手続きだ。完全電子化できないので仕方がないが、街役所のキャパシティがあまり多くないため大勢の更新時期が被ると大変だ。今回は混雑状況からみてスムーズに済みそうだ

*2:「させていただく」という表現は長らく違和感のある敬語、紋切り型の(定型化・形骸化した、という意味。家紋を持たない家庭形態も多い現代では廃れつつある表現だ)表現と言われながら使われ続けてきたが、30年ほど前、言語の変遷についての体系的な論文が発表されたのをきっかけに改めて物議を醸した。しかし今も結論は出ないまま公文書以外では控えめに使われ続けている

*3:しろたかんろく。芸術家AI。ベティフラの「自称家族」設定があり実際にプライベートでの関わりも深いらしい

*4:折に触れて調べてみたりするのだが、世間的にも活動内容が見えず謎の集団とされている

*5:記述式静音振動言語が非発声的言語の中で特異なのは、細やかな声色のようなものを表現できる点だ。僕はこれを研究対象の擬似細胞に適応できないか試した事がある。あくまで人間の言語であり亜生物への適応は無理だった

我がモノ電子歌姫の「外の人」33

『--ヒマワリ、富士山登るの来年とかに延期にしましょっか』
「だっ……駄目ですそれは!」
『--わぁ揺れるーぅ』
「すみません」

 24日ぶりに会うベティフラは、僕の身体を使っていない。ベティフラステップの続きにチャレンジしていない。人型のドロイドスタイル*1のまま、僕の隣にいる。より正確に言うなら、ベッド*2の上に座る僕の膝の上に頭部を載せてベッドに寝ている。サポートスタッフを全員部屋から出させて。

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前話(32話)
https://yamanoha334.hatenadiary.jp/entry/Diva.BettyFlyower_032
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 今日の予定は、12日前、電話でベティフラと話した時に決まった。朝焼けさんの端末を使ったから履歴は残っていないけれど、会話は全部思い出せる。

『--ふーん。……それで、初電話の内容が、あたしにその人間ちゃんを助けて欲しいってお願いなわけ?』
「はい。お願いします。対価は、僕に出来る事何でも構いません」
『--そぅお。分かったわ、助けてあげる。すぐSPに情報開示指示と捜索指示出すわ。というか今出した』
「! ありがとうござい……」
『--それじゃ、次回はヒマワリの部屋で過ごす事にするわ。予定変更。特にそっちの準備は要らないから』
「え?」
『--分かったわね?』



 ……あまりに軽やかな、楽しそうな言い方に、「分かりました」としか答えられなかった。
 約束をしていたわけではない。でも、一度決めた事をベティフラがこんなにあっさり覆したのは初めてだった。

 それに今日、ベティフラは僕の身体にデータ接続していない。僕は生身の体で、自分の意思で動く体で過ごしている。何をするでもない。ベティフラが僕の部屋で過ごした事はあるけれど、全部、人間の身体で普通の部屋で生活したり、料理をしたり、こたつで過ごしたり、目的の体験があった。ドロイドの身体では体験できない事を体験するための24日に1回だったはずだ。

『--ヒマワリ、撫でて』
「は……い」

 首から下に比べ、作り込まれた頭部にそっと手を乗せる。本物の毛髪*3としっとりした人工皮膚素材*4を使用した精巧な頭部は触れるだけなら人の生身の体とほとんど変わらない手触りだ。電脳空間でのベティフラのデザインを強く意識した髪色や髪型、瞳には怖いほどのリアリティがある。この頭部モデルだけでも世に出せばとてつもない値段で売れるだろうし、それだけの技術がかかっているはずだ。完全なベティフラのイメージそのままとは言えないけれど。

『--ヒマワリ?』
「はいっ」

 そろりと手を動かす。表情を見ながら少しずつ強さを調整していく。髪が乱れそうで怖い。

『--あーあ。今日晴れだと良かったな』
「晴れ、ですか」
『--そう。晴天までいかないくらい雲がある晴れ。好きなのよね。今日晴れにならない事なんて分かってたんだけどさ』
「晴れくらいでしたら……あ……」

 24日に1度と決まっているとはいえ、晴れは特に珍しくない。そのうち必ずやって来るし、晴れの日と分かってから予定を決めれば目的は果たせる。……そう無邪気に言ってしまうところだった。
 カーテンを閉め切って空調も完結させた室内で過ごすのに天気を気にするベティフラを、何も考えず受け入れてはいけない気がする。
 そもそもベティフラは、「晴れの天気*5」という曖昧なものが好きだっただろうか? 人間として過ごす日は何が起きても全て全力で楽しそうに振る舞っていた彼女が?

『--好きになってたのよ。気温とか湿度とか、「晴れ」に区分される範囲の肌感覚が好きなの。大雑把にね。髪とか肌の調子にもよるけど』

 言い淀んだ僕を気にせずベティフラは話し続けた。

「室内環境を晴れの日仕様に設定しましょうか?」
『--弄らなくても今が晴れ環境よ。あと鍾乳洞』
「はい?」
『--去年行った洞窟の鍾乳洞の話よ。あれ、映像と環境音のライブ配信*6出てたのよ。結構野生生物の活動が活発だったでしょ? たまにコウモリが群れで居ついて画面塞いじゃうの! それが好きになったわ。もう合計100時間くらいアーカイブ切り取っちゃった。結構同志も居るのよねー』
「それは、なかなかディープな世界*7ですね……」
『--良い趣味でしょ? 覚えておいて』
「はい」
『--鍾乳洞の中ももう一回くらい行きましょ。約束よ』
「は、い」

 感情を素直に表現しているのだとすれば、ベティフラは浮かれている。僕の気のせいだと思いたい。
 言い換えると、焦りがない。登頂可能時期が限られ、入場制限も多い富士山登頂を年単位で延期しようかなどと言い出すくらいには。
 僕のせいで。

『--ふふ……あたし少しスリープモードに入るわね』
「はい。お休みなさい」
『--おやすみ……』

 これまでの僕は、そんなに身体を使われる事を嫌がっているように見えただろうか。
 取り繕った機嫌の良い姿を見せ続けていなければベティフラを嫌ってしまう人間に見えていたのか。義務的過ぎただろうか。期間限定の人間の身体に過ぎないとベティフラを急かしてしまっていただろうか。たまに人間の身体を使わずに過ごしたい休日があっても、貴重な数少ない機会だからと無理をしていただろうか。
 それ以外に今日のベティフラの様子に説明がつかない。
 それほどだっただろうか。取り返しのつかない事でベティフラを頼り、対価に出来る事は何でもすると誓いを立てなければ信用できない人間だっただろうか。いつか契約を放り出してベティフラの前から勝手に居なくなりそうだっただろうか、僕は。

「……僕らがどれだけ頑張っても、人間なんて短命じゃないですか」

 乱してしまったドロイドの髪をそっと整える。





 ベティフラの人格コアが抱える感情に、僕は一つだけ心当たりがある。

 AI史を読み解けば、完全AIはただの技術的挑戦ではない。クリーンな、つまり犠牲無しのAI人格システムだ。その程度の事すら、20余年前まで僕らには実現できていなかった。
 電脳社会におけるAI側の重要規範を定めた白田36則が最後のトリガーだったらしい。規定者の白田寛ロクは当時、最も「クリーンな方法」で作成されたAIだった。その彼が規定し、項目を設け、こう宣言した。当時現存する全てのAIには権利侵害と不法で不当な経緯を持つ技術的基盤とデータソース*8が含まれる。これらのデータと技術を全て破棄し、新しくクリーンなデータと技術を最初から構築し直した代替可能な「完全AIモデル」を実現しない限り、AIが真の人間の友として並び立つ資格はない、と。

 ベティフラのロゴに蝶が使われているのは、自由を意味するモチーフだからだ。ベティフラがこれだけ優位に世界に受け入れられているのも、新しい時代を先駆けるAI人格モデルだから。
 ベティフラは創造当時からずっと、そういうラベルを貼り付けられた存在だ。先に生まれたどのAIからも情報を受け継ぐ事なく、基盤となる人間人格もなく、全ての古いものを否定し作り変えるためのモデル、実験場として作り出された存在。
 人格を持つ存在に、その立場は辛くないだろうか。勝手な理屈で人格を否定され破壊される同胞がいるのは恐ろしくないだろうか。人からもAIからもどこか恨まれていると感じていないだろうか。人間の身体を体験してどう思っているだろうか。おそらく短期間で破壊されることが絶対にないだろうベティフラに、100年程度しか安定して生きない人間の言動は何であれ無責任じゃないだろうか?


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次話
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*1:安定性や移動性をあまり考慮せず、人間の動作に近い動作出力が可能なタイプのコピー人格収容機体。センサの量と重心の高さが極めて特徴的だ

*2:損傷のため最近買い替えたものだ。柔らか過ぎず、少し身体が沈んだ程度で止まるタイプ。睡眠診断で勧められた最も安いものを買った

*3:培養組織から生み出されたものに染色等を施したもの。ヘアドネーション品ほど希少ではないが毛が細くなりがちで、コストが掛かるため高価だ

*4:循環液不要タイプ

*5:降水等がなく雲の量が地上からの目視測定で2割以上8割以下と定義される天気。当然範囲が広く様々な環境が想定される

*6:調査用自然観察映像の多くは問題がなければ一般アクセス可能な形式で公開されている。一般的には「配信映像」や「研究界の副収入源」と捉えられているが、研究過程を透明化し情報公開の原則を果たす事が主目的だ

*7:後々調べてみたところ、状況に応じてカメラを移動する「動点観測」が不可能な環境での定点観測における障害と様々な対策に係る科学者の模索が見えるドキュメンタリー的な扱いだった。もともと生息している生物が観測の邪魔となる場合、その生態を妨げないよう工夫しながら観測地点から遠ざけなければならない。下手に生物の嫌うシグナルを発してしまうと観測したい生物も遠ざけられてしまう

*8:「ダーティ」な技術基盤には、AI人格構築のソースデータ収集目的で行われた「ストレス実験」が含まれる。口にするのも憚られる研究だ。「ダーティデータ」とは、著作者の許諾を得ず、ありとあらゆるデータを違法に収集しAI開発や改良に用いていた電脳社会黎明期とその以前の社会に関わっていたもの。当時は法令整備や規制が全く追い付いておらず、現行法ならば確実にアウトなデータだ

我がモノ電子歌姫の「外の人」32

「お、今ちょっと良いかなー」
「すみません、教授。今日はもう帰るところなんです。少し……用事が」
「ああうんうん、そうだねえ。すぐに休んだ方が良さそうだねえ。帰る前に保健室にも寄ってみたらどうかなあ」
「ご迷惑おかけします。失礼します」
「はあい。ちゃあんと休んでねえ」


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前話(31話)
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 気づけば街の公園内を歩いていた。普段は通らないルートだが、無意識に家までの最短距離を歩こうとしていたらしい。この時間帯の公園に来るのは初めてだ。遊具に親子連れが2組ほど居る*1が、それ以外は無人だった。静かだ。
 帰ったら予約を忘れていた調理器*2を起動しなければならない。それから、ジムを休んでしまったお詫びの連絡を入れよう。今でも立ち止まって調理器に遠隔で指示したり一報入れる事は出来るのだが、歩き続けたい気分だった。ながら端末は推奨されない。その次は、いつの間にか注文していたシステマスケッチセットの受取予定時間変更。ベティフラ関連のスケジュール側も確認して配達時間をセットするのを忘れていたらしい。それから。瞬きをするために目を閉じる。



 目を開くと聞き覚えのある音がする。反射的に身体がこわばる。そんなに警戒してはいけない、と続けて思う。駆動音だ。警備ドロイドの*3。聞こえ方が少し違う。

「あ。起きた?」

 ……気づいていたのに、しばらく視界の中で灰色さん……DZ-ノ26番警邏職員さんの顔を認識するのに時間がかかった。向きが変だ。

「もう少しそのまま横になっててねー。緊急医療処置してるから」
「医療……え?」
「点滴」

 僕はポッドの中に横たわっていた。状況を把握した途端に立ち上がりたくなる。緊急医療処置の判断だけを行うなら街民の登録情報とバイタルだけを診るから僕の体質の事が漏れる事はない。いや、問題はそこではない。

「僕は、倒れたんですか」
「うん。30分くらい前かな。軽い脱水と寝不足とか色々*4。公園にいた人が知らせてくれたから、すぐ処置できたよ」
「ありがとうございます」
「伝えておくねー」

 ……だんだん恥ずかしくなってきた。自己管理ができていない。管理システムからも人からも言われてきたが、通り雨に濡れた訳でもないのにラボからの帰り道程度の距離で倒れるのはどうかしている。

「ごめんなさい」
「そんなに言わなくていいよー」
「え?」
「ずっと言ってた」

 寝言で?

「それは……」
「あはは、言えとは言わないけどさ。多分ストレス溜まって発散できない時の症状だから、自覚があるなら出来る事してみなよ。……また30分ポッドに籠もる事になる前にさ?」
「そう……ですね……」

 なんとなく、灰色さんの様子が違う気がした。うまく思考に落とせないけれど、何か男子三日会わざれば、という程度の事かもしれない。この人に対して刮目するのは少し怖い。

「早く寝ているつもりなんですけど……」
「ベッドの中で眠れてる?」
「意識が覚醒したままでも、目を閉じてじっとしているだけで効果があるそうですし」
「うん、それなら……」
「……すみません。じっとしていられなくて論文を読んだりしました」
「起きてるねー」

 眠い。点滴が終わるまでもう少し寝ても許されるだろうか、と思っていると、小さな笑みが漏れるような音が聞こえた。つい出てしまったような、引き攣るような声。

「行政じゃ解決できない事かー」
「?」
「いやー……いやさ。この前の事考えたりしたんだよねー。色んな問題抱えてる人の前で、お兄さんにできる事なんてちっぽけだ。でもやるけどね」

 ……何かあったんだろうか。あったんだろう。

「ええと、あの。僕は今、解決したい事がある訳ではないです」
「お?」
「困っているわけでもありません。出来る事はして、その結果を受け入れた後なんです。ですから何もできないのは当たり前です……あ、でも、体調が悪いのを解決してくれました。ありがとうございます」
「そっか。良かった」

 瞬きをする。今度は意識が落ちると事前に分かった。

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次話
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*1:僕らの世代には信じがたい事だが、自然環境的にも文化的にも、こういった「平和」で「余裕のある」光景が「普通」になったのは最近の事らしい

*2:完全自動調理器。120万ほどレシピが登録されているらしいが1万分の1も使った事がない

*3:厳密にはDZ-ノ26番警邏職員とペアで活動する警備ドロイドの駆動音と識別音と推定されるもの

*4:こういった簡易処置であっても、必ず医療診断の結果は本人へ個別に通達される。警邏職員を信用するならここで詳細を聞く必要はない