山の端さっど

小説、仮想世界日記、雑談(端の陽の風)

我がモノ電子歌姫の「外の人」33

『--ヒマワリ、富士山登るの来年とかに延期にしましょっか』
「だっ……駄目ですそれは!」
『--わぁ揺れるーぅ』
「すみません」

 24日ぶりに会うベティフラは、僕の身体を使っていない。ベティフラステップの続きにチャレンジしていない。人型のドロイドスタイル*1のまま、僕の隣にいる。より正確に言うなら、ベッド*2の上に座る僕の膝の上に頭部を載せてベッドに寝ている。サポートスタッフを全員部屋から出させて。

____________________
前話(32話)
https://yamanoha334.hatenadiary.jp/entry/Diva.BettyFlyower_032
____________________


 今日の予定は、12日前、電話でベティフラと話した時に決まった。朝焼けさんの端末を使ったから履歴は残っていないけれど、会話は全部思い出せる。

『--ふーん。……それで、初電話の内容が、あたしにその人間ちゃんを助けて欲しいってお願いなわけ?』
「はい。お願いします。対価は、僕に出来る事何でも構いません」
『--そぅお。分かったわ、助けてあげる。すぐSPに情報開示指示と捜索指示出すわ。というか今出した』
「! ありがとうござい……」
『--それじゃ、次回はヒマワリの部屋で過ごす事にするわ。予定変更。特にそっちの準備は要らないから』
「え?」
『--分かったわね?』



 ……あまりに軽やかな、楽しそうな言い方に、「分かりました」としか答えられなかった。
 約束をしていたわけではない。でも、一度決めた事をベティフラがこんなにあっさり覆したのは初めてだった。

 それに今日、ベティフラは僕の身体にデータ接続していない。僕は生身の体で、自分の意思で動く体で過ごしている。何をするでもない。ベティフラが僕の部屋で過ごした事はあるけれど、全部、人間の身体で普通の部屋で生活したり、料理をしたり、こたつで過ごしたり、目的の体験があった。ドロイドの身体では体験できない事を体験するための24日に1回だったはずだ。

『--ヒマワリ、撫でて』
「は……い」

 首から下に比べ、作り込まれた頭部にそっと手を乗せる。本物の毛髪*3としっとりした人工皮膚素材*4を使用した精巧な頭部は触れるだけなら人の生身の体とほとんど変わらない手触りだ。電脳空間でのベティフラのデザインを強く意識した髪色や髪型、瞳には怖いほどのリアリティがある。この頭部モデルだけでも世に出せばとてつもない値段で売れるだろうし、それだけの技術がかかっているはずだ。完全なベティフラのイメージそのままとは言えないけれど。

『--ヒマワリ?』
「はいっ」

 そろりと手を動かす。表情を見ながら少しずつ強さを調整していく。髪が乱れそうで怖い。

『--あーあ。今日晴れだと良かったな』
「晴れ、ですか」
『--そう。晴天までいかないくらい雲がある晴れ。好きなのよね。今日晴れにならない事なんて分かってたんだけどさ』
「晴れくらいでしたら……あ……」

 24日に1度と決まっているとはいえ、晴れは特に珍しくない。そのうち必ずやって来るし、晴れの日と分かってから予定を決めれば目的は果たせる。……そう無邪気に言ってしまうところだった。
 カーテンを閉め切って空調も完結させた室内で過ごすのに天気を気にするベティフラを、何も考えず受け入れてはいけない気がする。
 そもそもベティフラは、「晴れの天気*5」という曖昧なものが好きだっただろうか? 人間として過ごす日は何が起きても全て全力で楽しそうに振る舞っていた彼女が?

『--好きになってたのよ。気温とか湿度とか、「晴れ」に区分される範囲の肌感覚が好きなの。大雑把にね。髪とか肌の調子にもよるけど』

 言い淀んだ僕を気にせずベティフラは話し続けた。

「室内環境を晴れの日仕様に設定しましょうか?」
『--弄らなくても今が晴れ環境よ。あと鍾乳洞』
「はい?」
『--去年行った洞窟の鍾乳洞の話よ。あれ、映像と環境音のライブ配信*6出てたのよ。結構野生生物の活動が活発だったでしょ? たまにコウモリが群れで居ついて画面塞いじゃうの! それが好きになったわ。もう合計100時間くらいアーカイブ切り取っちゃった。結構同志も居るのよねー』
「それは、なかなかディープな世界*7ですね……」
『--良い趣味でしょ? 覚えておいて』
「はい」
『--鍾乳洞の中ももう一回くらい行きましょ。約束よ』
「は、い」

 感情を素直に表現しているのだとすれば、ベティフラは浮かれている。僕の気のせいだと思いたい。
 言い換えると、焦りがない。登頂可能時期が限られ、入場制限も多い富士山登頂を年単位で延期しようかなどと言い出すくらいには。
 僕のせいで。

『--ふふ……あたし少しスリープモードに入るわね』
「はい。お休みなさい」
『--おやすみ……』

 これまでの僕は、そんなに身体を使われる事を嫌がっているように見えただろうか。
 取り繕った機嫌の良い姿を見せ続けていなければベティフラを嫌ってしまう人間に見えていたのか。義務的過ぎただろうか。期間限定の人間の身体に過ぎないとベティフラを急かしてしまっていただろうか。たまに人間の身体を使わずに過ごしたい休日があっても、貴重な数少ない機会だからと無理をしていただろうか。
 それ以外に今日のベティフラの様子に説明がつかない。
 それほどだっただろうか。取り返しのつかない事でベティフラを頼り、対価に出来る事は何でもすると誓いを立てなければ信用できない人間だっただろうか。いつか契約を放り出してベティフラの前から勝手に居なくなりそうだっただろうか、僕は。

「……僕らがどれだけ頑張っても、人間なんて短命じゃないですか」

 乱してしまったドロイドの髪をそっと整える。





 ベティフラの人格コアが抱える感情に、僕は一つだけ心当たりがある。

 AI史を読み解けば、完全AIはただの技術的挑戦ではない。クリーンな、つまり犠牲無しのAI人格システムだ。その程度の事すら、20余年前まで僕らには実現できていなかった。
 電脳社会におけるAI側の重要規範を定めた白田36則が最後のトリガーだったらしい。規定者の白田寛ロクは当時、最も「クリーンな方法」で作成されたAIだった。その彼が規定し、項目を設け、こう宣言した。当時現存する全てのAIには権利侵害と不法で不当な経緯を持つ技術的基盤とデータソース*8が含まれる。これらのデータと技術を全て破棄し、新しくクリーンなデータと技術を最初から構築し直した代替可能な「完全AIモデル」を実現しない限り、AIが真の人間の友として並び立つ資格はない、と。

 ベティフラのロゴに蝶が使われているのは、自由を意味するモチーフだからだ。ベティフラがこれだけ優位に世界に受け入れられているのも、新しい時代を先駆けるAI人格モデルだから。
 ベティフラは創造当時からずっと、そういうラベルを貼り付けられた存在だ。先に生まれたどのAIからも情報を受け継ぐ事なく、基盤となる人間人格もなく、全ての古いものを否定し作り変えるためのモデル、実験場として作り出された存在。
 人格を持つ存在に、その立場は辛くないだろうか。勝手な理屈で人格を否定され破壊される同胞がいるのは恐ろしくないだろうか。人からもAIからもどこか恨まれていると感じていないだろうか。人間の身体を体験してどう思っているだろうか。おそらく短期間で破壊されることが絶対にないだろうベティフラに、100年程度しか安定して生きない人間の言動は何であれ無責任じゃないだろうか?


____________________
次話
https://yamanoha334.hatenadiary.jp/entry/Diva.BettyFlyower_034
____________________

*1:安定性や移動性をあまり考慮せず、人間の動作に近い動作出力が可能なタイプのコピー人格収容機体。センサの量と重心の高さが極めて特徴的だ

*2:損傷のため最近買い替えたものだ。柔らか過ぎず、少し身体が沈んだ程度で止まるタイプ。睡眠診断で勧められた最も安いものを買った

*3:培養組織から生み出されたものに染色等を施したもの。ヘアドネーション品ほど希少ではないが毛が細くなりがちで、コストが掛かるため高価だ

*4:循環液不要タイプ

*5:降水等がなく雲の量が地上からの目視測定で2割以上8割以下と定義される天気。当然範囲が広く様々な環境が想定される

*6:調査用自然観察映像の多くは問題がなければ一般アクセス可能な形式で公開されている。一般的には「配信映像」や「研究界の副収入源」と捉えられているが、研究過程を透明化し情報公開の原則を果たす事が主目的だ

*7:後々調べてみたところ、状況に応じてカメラを移動する「動点観測」が不可能な環境での定点観測における障害と様々な対策に係る科学者の模索が見えるドキュメンタリー的な扱いだった。もともと生息している生物が観測の邪魔となる場合、その生態を妨げないよう工夫しながら観測地点から遠ざけなければならない。下手に生物の嫌うシグナルを発してしまうと観測したい生物も遠ざけられてしまう

*8:「ダーティ」な技術基盤には、AI人格構築のソースデータ収集目的で行われた「ストレス実験」が含まれる。口にするのも憚られる研究だ。「ダーティデータ」とは、著作者の許諾を得ず、ありとあらゆるデータを違法に収集しAI開発や改良に用いていた電脳社会黎明期とその以前の社会に関わっていたもの。当時は法令整備や規制が全く追い付いておらず、現行法ならば確実にアウトなデータだ