山の端さっど

小説、仮想世界日記、雑談(端の陽の風)

我がモノ電子歌姫の「外の人」36

「ありがとうございます」

 いつもの精密検査*1を終えて、僕はさっとカルテを流し見る。
 検査名、担当医療ドロイド個体番号*2、患者氏名、年齢、性別。出身地球、宇宙第二プラント*3在住。診断結果良好、前回からの変化はわずかな疲労の蓄積。希望により軽い睡眠薬と栄養剤を3日分処方。気になる点は無し。

「ありがとうございました」


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前話(35話)
https://yamanoha334.hatenadiary.jp/entry/Diva.BettyFlyower_035
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「ありがとうございました」

 3人目。僕は見知らぬ男性と別れてまた歩き出す。
 よく道を聞かれるタイプだと自覚はあるが、今日は特に多い。ナビに頼っても分からないくらい困った人がたくさんいるというのも珍しい。思い付いてニュースを見てみると、地球からの船が複数来ているらしかった。珍しい。

「ちょっとあなた」

 冷たく甘い雰囲気の声が僕を横から呼んだ。

「はい」
「道を教えなさいな」

 綺麗な発声だ。どこかで聞いたことのある声。振り返って、どこかで見たことのある姿が目に入った。

「……」

 ……流石に年末の件で覚えている。
 マルチタレント高下駄子ちるる、まさにその人に見える。
 しかし、ベティフラが要注意人物としてリスト化した著名人が接近したのに、手元の端末が反応しなかったのはおかしい。他人の空似だろうか。

「何ですの?」
「あ……いえ、すみません。どちらをお探しですか?」

 マップを開くと、それを押しのけてもどかしげに彼女の持つマップの方を見せられた。違う。誰かのマップのスクリーンショットだ。

「ここですわ」
「ああ、ここは……甲種制限区域マップですね」
「コウシュ?」
「甲乙ランクの甲。こちらでの市民制限区分です。許可がない場所には入れないのでそもそも表示されるマップが違うんです」

 僕のものと同じだ。認可制で街民に与えられるもので、取得のハードルは高くないが、来たばかりの来訪者に既定で付与されることはない。彼女にもランク付与マークが見えない。

「ああ、それで。マップが全く違うと思いましたわ」
「ランクは隣エリアの役所で申請できます。外の方の認可には詳しくありませんが、そちらか一番早いはずです」

 もう伝わっているだろう。彼女の目的地のホールは制限区域だ。甲種ではないが、その次の乙種にあたる*4

「いいえ」
「はい……?」
「甲種の同伴で入るのが一番早いわ。あなた甲乙ランクとやらが甲種の人はご存じ?」

 僕のマップから情報を見たらしい。目敏い人だ。確かにこの場所は甲種の入域に同伴者のランクを要求していない。していない、けれど。

「ええと」

 警邏職員に連絡すべきだろうか。一般街民が責任を取れない事態が発生しそうな時には適切な対応だが、目の前の彼女は怒りそうだ。でも呼ぶべきだろう。「灰色さん」の連絡先に指を伸ばす。

「あら、もしかしてあなた、わたくしを信用できないと思っておいでですわね? 不愉快ですわね。不躾ですわ」
「は、いえ、そんなことは」

 ある、と言うと露骨に不躾になるが、知らない人を制限区域に連れて行けないのも事実だ。

「仕方がありませんわね」

 ゆらり。身にまとう雰囲気が変わった。うまく言えないが、大勢の人やカメラに見られることに慣れている人の動きだ。ホログラムによる演出をまとっているのも業界の人らしい。嫌な予感がする。
 そのまま、真っ赤なデザインの電子証明を僕に差し出した。

「わたくし、高下駄子ちるると申しますの。不肖ながら有名人ですわ。第二プラントの方でも流石にご存じでしょう?」

 やはり本人だ! 祈る偶像神は持っていないが、つい、年始に詣でた神々を心の中で唱える*5

「あの……」
「これで信用に足ると分かりましたでしょう? というかあなた、甲種地域のマップを開けるということはあなたも甲種を持っているんじゃなくて? あなたが案内なさいな。ホールに入ったら後は好きにして構いませんわ」
「あの、だいぶここでは……こういうことをすると目立つので……」
「あら」

 周囲の歩行者やカメラアイが次々と彼女を捉えていた。高下駄子ちるるのオフショットを。僕は画角から後ずさって離れる。

「ちょっとあなた、このわたくしを見捨てる気ですの?」
「滅相もないです……」




 結局高下駄子さんは、彼女のファンだと名乗り出た数人の女性たちの同伴として行くことになった。周囲の人からの撮影許可申請に僕の姿を隠すか削除するよう一律で条件をつけて、僕はその場を大急ぎで離れる。ベティフラサポートスタッフへも連絡を入れておく。

 あれはなかなか危険だった。
 現代ではほぼ使われることのない、端末未所持での移動申請。幾つかの条件を満たすと、普段使用している位置情報などの発信ツール*6から完全に身体を切り離し、新規端末で行動が可能になる。もし元端末がベティフラに位置情報を密かに閲覧されていても、申請中は行動経路を見られずに済むし元端末に履歴が残らないわけだ。犯罪利用が懸念されて条件は厳しいけれど、「推しのアイドルの小規模ライブにこっそり参加したい」くらいの動機で申請できる程度のものではあるらしい。

 彼女が長年ファン活動をしている男性AI人格アイドル集団「Ma! Charate*7」については、この前調べて色々と知った。
 ベティフラを完成とする「健全なAI人格プログラム」は、既存のAI人格に逆導入されて業界の「浄化」が行われた。違法性や倫理的に問題のあるデータセットや構造をベティフラコアに置き換えるという大変なプロジェクトだ。あのアイドル集団の中には、そのプロジェクト中に何らかの理由で多くの記憶データを消去せざるを得なかったメンバーがいる。そのことを気にするファンは多いらしい。

 彼女がベティフラを敵視しているらしいのにはそういう背景がある。
 ベティフラが彼女を警戒するのに無理はない。AI倫理問題は僕らの世代で確実に解決しなければならない問題だとも思う。
 だから、やるせない。


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前話(37話)
https://yamanoha334.hatenadiary.jp/entry/Diva.BettyFlyower_037
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*1:アイソレーションポッドに体を静置して行うタイプ。体表面に感じる電気刺激は相変わらずくすぐったい

*2:僕の受ける定期検査程度なら人間の医療者の滞在は必須とされない。その代わり、医療ドロイド及び準医療ドロイドの規定範囲内の滞在は必須だ。こうして必ず記録されることになる

*3:今年の高速通信最速記録は地球との差わずか2分41秒の惑星だ。来年30秒台達成を目指し通信システムの研究が進められている

*4:式典場や公演場は万人に開かれたもの、というのはかなり新しい概念だ。まだ制度が追いついていない。場所そのものに区域制限を掛け、イベントを行う会場によって客層を「篩う」のは一般的な手法であり続けている

*5:自称無宗教派の悪い癖だ

*6:一般街民などが閲覧できるデータではないが、ベティフラがが確認できて僕の端末に接近警告システムを仕込めるデータなのは確かだ

*7:発音は「マ・チャラテ」、イントネーションは「抹茶ラテ」。黄緑色と赤の差し色をカラーにする7人組男性アイドルグループ。ファンは自分たちのことを「マッカ」と自称する