やけに早く目が覚めたと思ったら汗をかいていた。睡眠が大きく狂う予定日は2日後だったが、入院生活のせいか色々ずれて今日になってしまったらしい。
僕は日付を24単位でカウントする。今日は24。または0。ベティフラの日だ*1。
シャワーで汗を流したら、髪を乾かしながら部屋が綺麗か回って確かめる。初めてベティフラが僕の部屋に来た日と同じような事をしている*2。インターホンが鳴ってビクリとしてしまうのも全く同じだった。
……こんな時間に?
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前話(10話)
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…………思い出すあの日は、確か4回目だった。本来は接続実験と過去の3回同様、僕がオフィスに行ってからベティフラに接続する予定だった。
『いぇーい! ちゃんと起きてるー?』
「……はい。おはようございます」
ベティフラからモーニングコールが掛かってきた時、僕は予定より2時間早く起きてしまった身体を休ませようとしていた。目を閉じたまま応答した覚えがある。
『朝は寝ぼけてるか怠そうかのどっちかね、ヒマワリって』
「すみません。変な時間に目が覚めて。緊張もそうですが、バイオリズムと薬の周期でたまにこうなるんです。早く寝ましたし、少し大人しくしていればきちんと目が覚めますから……」
早朝*3で頭が十分には回っていなかったらしい。その時は何も考えず自分の事を話してしまった。
『ふぅん? 分かったわ、ヒマワリ。今日は家に居なさい』
「は……はい?」
『今日はあたしがそっちに行くから』
その言葉で電話は切れ、同時に目が覚めた。熱めのシャワーを急いで浴びた後で、順番が逆だったと気づいた。部屋を掃除した後の方が良かった。
それであの日、初めてベティフラが僕の部屋に訪れた。正確にはベティフラのコピー人格収納機体*4が。彼女は機体の首をかしげて部屋と僕を見た*5。
『--なぁんだ。全然散らかってないじゃない』
「見っ、……あまり、見ないでください」
『--見るわよ。見に来たんだから。あ、あんた達どけて。そっちとか行ってて。あたしもう少しこのまま見物するから!』
急に予定を変えたりして人を振り回すのが優しさだとすら思っている声色。目の前の未知の人間の部屋以外には全く興味がない、という仕草。だから僕らもサポートスタッフも、接続の準備を止めて傍に退け、部屋を動き回って冷蔵庫の中やベッドの下を覗くベティフラを見守った*6。
結局彼女は完全AIで、人格にとらわれず全ての表に出す感情をコントロールできる。僕の体調を気遣っているなどと彼女が全く「思っていない」のなら、僕らはただ気まぐれな彼女のワガママに振り回されるだけだ。
『--ヒマワリ』
「はい」
『--次は何か面白いもの入れておきなさい! あたしが満足するようなもの』
「は、はい……?」
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……あの日から600日目。キリの良い日数なのはたまたまだ。今日の予定が喫茶店巡りなのも偶然。
わざとにしては出来すぎている。
「……随分早い時間ですね」
「起きているなら問題無いでしょう」
久々に緊張していた僕の部屋を早くに訪れたのは、ベティフラではなかった。サポートスタッフでもない。
僕はこの人をある程度知っている。以前僕の担当だったドクターだ。他に2人、見覚えのない人を連れている。僕が驚いている間に、ドクターは上がり込んで机についた。
「本日は通告に来ました。ベティフラ様は今日、おいでになりません。いいえ、今日だけでなくこれからもです」
「! それは……」
「先日の件にお心を痛められ、もう行かないと仰せになりました。今は伏せっておられます」
「どうして」
「『どうして』? ああ、相変わらずあなたは……ベティフラ様に相応しくない。まあ良いでしょう、その事にベティフラ様もお気付きになられたのですから」
「そ」
「今日はあなたに説明をしに来たのではありません。サインしなさい」
電子紙の文書を机に置かれる。
僕はぼんやりと文面を見た。ベティフラとの関わりが始まった時に、見せられたことがある文面だ。最下行に大きく偽造防止機能付きの署名スペースがある。
「忌々しいですが、形式上、あくまで形式上。あなたから望む書面がないと契約は解消できませんからね」
「……」
相変わらず。
久々に会う気でいたが、よく考えてみれば、彼と最後に会って*7から2ヶ月にもならない。それだけの時間で僕もドクターも変わるわけがない。僕は黙って床のカーペットを見た。毛並みが乱れている。
「さあ、早く書いてください。ベティフラ様を煩わせるつもりですか」
「とんでもありません」
僕は笑えただろうか。
「僕も思っています。ベティフラを、困らせてはいけない」
震える手で書類に手を伸ばした。
……右上で数回の操作。何とか、ドクターに取り上げられる前に書類の削除を申請する事ができた。
不自然な時間帯の削除申請。しかもこんな嘆願書だ。ベティフラのサポートスタッフは確実に違和感に気づく。
「貴様っ!」
良かった。いくら偽造防止機能がついているとはいえ、僕の手で書かされていたら事実の証明に時間がかかってしまう。その間困るのはベティフラだ。
首を掴まれて揺さぶられる。額に頭突きが当たった。前に犯罪心理学講義で聞いた。武器を用いない衝動的な近距離暴力の手法にははるか昔からほとんど変化がないらしい。簡単に分けると知識と流血と痛みで分岐する。視界が回る。何かを言われているけれど聞く余裕はない。床に背を打つ。2000年前からの人類の癖。速やかにマウントを取る方法。近くに紐はない。知識あり、流血無し、痛み少なめ。首に手が回された。
「お前ごときがヒマワリ様に寄るな」
指は、首にほとんど触れもしなかった。1人分の体重がパッと消える。一般的な耐衝性があるはずのベッドから、聞いたことのない破壊音がした。
衝動的になった人はパターン化できるほどの単純な思考になる。選択の余地は我慢できるかどうかくらいだ。
……暴力に慣れているというのは、冷静な思考を持ったまま衝動に近い行動を選択できる、ということらしい。部屋を見てすぐに状況と緊急性に気づき、人数と配置を見てドクターから対処して問題ないと判断し、僕の喉へ向かう手にまだ隙間が十分あると見極め、危険を完璧に排除しつつ打ち付けても後で面倒が起きにくいベッドを咄嗟に選んで正しい角度と力で蹴りを入れる。SP用サポートアイテムがあっても難しいはずだ。
赤い髪がかすかに乱れて、残る2人を締め上げる。簡単に拘束を済ませ、朝焼け色の似合うSPは僕に駆け寄った。
「ヒマワリ様! お怪我はありませんか」
「え、ええ……ありがとうございます。こんなに早く来ていただける、とは」
声が震えてしまう。
「彼らについては、不審な動きを度々掴んでいましたので。ヒマワリ様の元に向かう可能性も追ってはいたのですが、間に合わず申し訳ありません」
「いえ、間に合っていますから! 謝らないでください」
「いいえ。まるで囮のような形に……」
「そんなことは」
ベッドが軋む音に、僕は口をつぐんだ。ドクターであった人*8、は少し首を起こしただけだった。他はベッドの構造に食い込んで動かせないらしい。
「何、故……」
SPは彼に言いたいことが山ほどあるという顔をしていたが、一言譲ってくれた。僕は恐る恐る言う。
「ベティフラは、24日に1回、必ず僕を使うと言いました。決めたことは覆さないひとです。だから、僕から契約の解消を申し出るなんてことは……ベティフラを困らせてしまいます」
ドクターの反応はあまり見ていない。SPは反応を待たず僕の視界を遮ろうとした。開きっぱなしだったドアから収容機体姿のベティフラが飛び込んできて、SPに器用にも僕ごと受け止められた。僕とベティフラの距離があまりにも近づいて、僕は抜け出そうとした。
『--逃げるな! あたしがあんたを手放すなんて思ってないわよね? ヒマワリ!』
「は、はい、思ってません」
『--なら良いわ。良い子』
耳元で囁かれて、余計な考えは全て消えてしまう。
『--今日は喫茶店行くわよ』
「はい」
『--ベッドの下、なぁに、あれ? はみ出てるけど』
「……今回の、面白いものです……」
『ふふっ、あははははっ! ヒマワリ入院中絵なんて描いてたの? どれだけ暇だったのよ! しかも、描くのあたし、とか、あははっ』
ベティフラはわざと、こうも明るく振る舞う。
そのワガママに簡単に騙される僕らは単純だ。相変わらず。
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次話
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*1:ベティフラが電子空間を離れ、僕の身体を使う日。僕の周りの事情を知る人は24日おきの日程を当然把握しているため、これといった呼び方がない
*2:頭を包んで髪を乾かしつつ、ヘアセットもしてくれる球型ドライヤーは最近の買い物だ。使用しながら動き回れるおかげでQOLが格段に上がった
*3:古風な喫茶店巡りをする予定で、それほど早起きする必要はなかった。予告なくあんなタイミングでベティフラが連絡してきた事も、他に一度もない。その前夜、「夜明けの一口、目覚めの一息」をテーマに詩人や冒険家らと語らう番組に出演し、話が盛り上がっていたのが関係したと僕は想像している
*4:ドロイドほど擬人型に特化しておらず、安全性と運びやすさを優先した形状
*5:今思えば、乾きにムラのある髪とドライヤーの種類を見られていた
*6:密着式ベッドのベッドと床の間に隙間はない。しかし厳密には薄いものを挟んで隠しておく事は可能だ(正しい使用法ではない)。ベティフラは細かな指のないボディで隙間をこじ開け、奥を確認しようと苦戦していた。僕はそこに何も入れていなかった
*8:一連の行動が伝わっているなら、少なくともサポートスタッフチームからは既に即時解雇を受けているだろう