山の端さっど

小説、仮想世界日記、雑談(端の陽の風)

我がモノ電子歌姫の「外の人」7

 その日は007583*1の事を考えていてベティフラへの返事が遅れた。

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前話(6話)
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「『ヒマワリぃ?』」

 慌てて謝ったが遅い。僕の身体を24日に1度使うこの歌姫は、機嫌の変わりやすい電子回路をしている*2。そういうところがベティフラの魅力だ。先日のライブでは、1曲の中で感情を変え、歌い方をがらりと変える歌唱を披露した。事前に予定していた演出ではなかったらしい。ライブのアーカイブ配信は一晩延期され、急遽デザインされた虹色のロゴ付きで公開された。恐ろしい売れ行きだ。

「『聞いてたぁ?』」
(「は、はいっ」)
「『じゃあ行って良いのよね?』」
(「……行くだけですよね?」)

 きっとベティフラなら僕の肉体でも目立てるだろう。アバターを変えて好きに仮装するように。ただ、僕は歌えない。演奏もしていない。トレーニングを求められた事もない。

「『ふっ。そりゃそうよ。あたしがこの姿でいきなり歌ったり踊ったり演奏すると思う?』」
(「思いません、が」)

 なぜベティフラは次の行き先について僕に同意を求めたのだろう。

「『だってライブハウスよ、ライブハウス。ヒマワリ行ったことある?』」
(「いえ」)
「『でしょ?』」
(「……?」)
「『生のライブのこと舐めてるわね? ヒマワリがこれまで観てきたの*3とは違うから。違うの。初体感になるんだから気合い入れなさいよ』」
(「ベティフラも初めてでは?」)
「『あたしはドロイド*4から会場の情報集めたことあるから良いのよ! 治安悪いから行くなって皆うるさいんだけど、あたし絶対しまえなガ観に行きたいの』」
(「しまえなが?」)
「『絶対見たことあるわよ。Vでも活動してるし』」

 検索すると、画面からちりん、と風鈴の音がした。

(「あ……『島絵名ガラス工房』!」)

 確かに知っている。自作のガラス楽器を用いて演奏するアーティストだ。そういえば愛称が「しまえなガ」だった気もする。

「『でしょでしょ? 生演奏聴きたくなーい?』」
(「……聴きたいです」)

 ベティフラは「しまえなガ」とコラボしたこともある。
 どれだけマイクが近くに設置されていても、電子空間上では手を伸ばせば届く距離でも、どれだけ高音質のデータをほぼリアルタイムで得ることができても、空気の振動すら再現できても、それは彼女にとって生で体験したことにならない。




 だから24日後、僕は拘束するように巻きついてくるチェーン*5を垂らし、慣れない黒キャップとざっくりした合皮シャツの装備に身を包む。カラフルなピンバッジの柄はベティフラのロゴだ。それとベティフラ(のサポートスタッフ)が持ってきた、しまえなガ鳥としまえるガ鳥*6のぬいぐるみと不砕ガラスのアクセサリー。

「『推しは明確にしてった方が良いのよ。しまえなガはトラブル起きにくいファン層だし、これだけ付けてれば大丈夫でしょ』」
(「なるほど」)
「『……あたしのは付けなくても良いんだけど』」
(『付けても良いんですよね……?』)
「『ええ、まあ』」
(「じゃあ付けます」)
「『……盗られないようにしなきゃ……』」

 ベティフラが急に深刻そうにしながら、ライブハウスの扉を開く。
 どっと流れ込んでくる汗と熱気と声。僕を動かしているのがベティフラでなかったら、立ち止まってしまっただろう。

(「な……」)
「『凄いでしょー?』」

 話には聞いていたのに何もかも違う。一瞬で知らない世界に放り出された、感触がある。腕が人に触れてもお互い謝る時間も惜しいのか何も言わない。見もしない。あちこちにモニターと演出が光っているから、誰がどこを見ているのかも分からない。多分一番多くの人が見ているのだろうステージが、遠い。

「『ほら、行くわよ』」

 一歩近づいた。また一歩。ベティフラが微笑む。

「『あ、もう近づけないわ』」

 前にも横にも全く進む余地がない。足の間を子供が潜ることすらできないだろう。踏まれそうだ。近くの二人組に至っては肩をがっちり組んで空いた腕を同時に振り上げている。

「『じゃ、ここら辺のモニターで観ましょいえぇーーーーーーーー〜〜〜いっ!!!』」

 ベティフラは跳ねた*7



 熱狂は渦になった。音響の関係か、意外と近くの人の声ばかりが届く事にはならず、会場全体の騒がしさと共にステージの音を聴く、いや、感じる事ができる。騒がしいのに瞑想空間にいる時のような気分だ*8。頭の血管が脈打つ音まで聞こえるし、それを聞いている暇はない。知らないアーティストがステージに立った程度で、誰が歌詞やコーレスを間違えたところで、どこかで小さな騒ぎが起きたとかで、今さら会場の温度は下がらない。ただ上がっていく*9。強く、ヂリッと音がした。

(「ベティフラ!!!」)

 鼓膜から頭蓋骨を殴り割る音。僕は耳を押さえてその場にしゃがみ込む。すぐに腕を掴まれた。引き上げられる。引きずられる。

「み、みぃぎ、」

 通じたらしい。目の前にハンドサインが出された。脇の下に腕が通され、しっかりと支えられる。この朝焼け色のネイルは、今日、ベティフラの一番近くについていたSPだ。何故かチェーンを外す指に血がついている。
 あ、僕の耳から出た血だ。
 途中まで脇を支えに引きずられ、少し空間が空いてからは背中と膝に腕が回された。軽々とSPは僕を抱え上げて外に連れ出す。急に涼しくなり、僕は身震いをする。この腕の感触には覚えがある。ベティフラがヒールに初めて挑戦した時、隣で支えてくれた人だ。ベティフラ。ベティフラは大丈夫のはずだ。
 近くに構えていた車へと運ばれるうちに、やっと頭が落ち着いてきた。ゆっくり瞬きをして、見せられたタッチパネルに向き合う。文字を叩くくらいなら指は動かせる。

『ベティフラ様が接続を緊急遮断しました。何が起きましたか?』
『多分不可聴域の広域音波です。僕に反応しました』

 会場内の人は、ただ熱気で倒れたのだと思ってくれただろうか。

『特定機械などに干渉してエラーを起こさせるものだと思います』

 僕の体質のことを誰も気づかなかっただろうか。

『あなたの身体に反応する周波域について、誰かに話したことは?』
『一度もありません』

 しまえなガの出番の前にライブハウスを出てきてしまった。ベティフラは、あれだけ楽しみにしていたのに。

『狙われたと思いますか?』
『いいえ』
『事故だと?』
『感触が以前検査で受けたものに似ています。僕以外の人間に用いることを、考えたこともないと言われました』
『詳細を思い出せますか』
『はい』

 ベティフラには僕と接続中に問題が起きても、サーバやメインデータに影響を及ぼさないシステムが構築されている。詳しくないけれど、僕に接続するベティフラのデータは人格データのコピー版で、本体とは繋がっていない。得られた体験データも、ひとまず本体とは切り離して保存される。厳重なスキャンを経てデータは本体に統合される。
 電子ウィルスや過剰な入力信号等を受けたと判断したら、ベティフラは僕から緊急切断してコピー人格ごとデータを削除する。

『ありがとうございます。病院にもうすぐ着きます。安静にしていてください』

 まだ体に熱が残っている。


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次話
https://yamanoha334.hatenadiary.jp/entry/Diva.BettyFlyower_008
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*1:7583。■■■■■、■■■ ■■■■■■■■■ ■■■■■。007583■■■■■■■■■■■

*2:繰り返すがベティフラに人格・思考モデルとなる人間はいない。完全AIが有史以来のビッグデータを余さず解析し学習した結果辿り着いた「正解の一つ」らしい

*3:一般的に最上級のライブの楽しみ方は「ポッド観覧席」だ。1〜数人分のレンタルポッドの中で機器を装着して全方位からライブを体感する。最もライトな楽しみ方は、配信動画を端末から見るもの。いずれにせよ現実にステージや他の客と空間を共有することはない

*4:ベティフラとドロイドといえば、ファンの間では「ベティロイド」というネットミームが流行っている。ベティフラを模した小型ドロイドがもし商品化されたら、という想像で二次創作やファンアートをするというもの

*5:インチェーン風の流行りものだ。朝顔がデザインされている

*6:島絵名ガラス工房の公式メインキャラクター。「しまえなガ鳥」は大きめのシマエナガ、「しまえるガ鳥」は小さめのガチョウ

*7:後で知ったが、ちょうどその時、ステージ上のロックバンドが急に、このライブハウス出身のレジェンドシンガーの大ヒット曲を掻き鳴らし始めたらしい。彼の誕生日が数日後なのを記念したサプライズだった

*8:現代人は週に最低2〜3時間の睡眠外瞑想時間を取ることが推奨されており、そのためのポッドを家に置く人も多い。僕は最近、アイソレーションポッドで検査中に済ませたという事にしてしまっている

*9:僕とベティフラの感覚優位表現だ。実際の会場には規定に則り、曲の合間や休憩時間に換気を兼ねた冷風がしっかりと吹き込んでいた