山の端さっど

小説、仮想世界日記、雑談(端の陽の風)

我がモノ電子歌姫の「外の人」3

前話(2話)
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「カレー食べたくなってきちゃったじゃんね』
「ね。食べる? 作る?」
「あー難問*1
「私は作ろうかな。野菜パウダー修羅余ってる」
「阿修羅かー」

 海沿いの田舎から越してきて5年になる。夕方の都会の匂い*2にはまだ慣れない。
 帰宅を始める人々と反対に、僕は一人でオフィス街に向かっていた。

「俺のビルの屋上、この前見たらゴーヤ12本くらい生っててさ*3……」
「は? 誰得?」
「それがさ、社長が好きで生やしてんだって」
「だからってダースで育てんなよ。いや食えんの?」
「汚染避けにビニールハウス置いてた……」
「ヤバ」

 高速移動手段がある程度整っている街を歩く選択をする人々は連れが多い。乗ると大抵、話す時間がなくなるから。
 靴が滑る。地面に小さなプラスチックの球*4が落ちているのを意味もなく拾って、僕は大きなビルに入る。
 今日は12日刻みのディーヴァ暦で8日目。次にベティフラが僕を使うのは4日後。
 入り口で生体認証されると、すぐにワンタイムパスが発行される。奥のエレベーターに入れば自動で入力され、いまだ階層も知らないまま、僕はその階に通される。
 無人受付を通ればすぐに電子カルテが現れる。とにかくスムーズだ。ビルを出るまでの間、他の患者とも他施設利用者ともすれ違わないよう設計されているのも、徹底した最新式のシステムだ。

「お疲れ様です」

 今は誰もドクターが居ないらしい。それでも問題なく僕は奥に通されて診察が始まる。予告されていた要検査項目は5項目。健康体を保つための予防が1つ、ベティフラに適合するために2つ、僕個人のものが2つ。夕方からで十分間に合う。
 ドクターの在不在を気にせず深夜でも祝日でも都合の良い時間に行けるサイボーグ系医院はそう多くない。いつ行ってもスムーズで機密性がある。ベティフラサポート用医院に指定されているのも納得だ。
 着替えて、検査機器に囲まれたアイソレーションポッド*5の中に寝る。バイタルが落ち着くまで待ち、深く息をつくと、刺激が身体を取り囲み始める。この感覚は感じられる人と、そうでない人がいるらしい。敏感なほど外部から入力される電気信号への応答性が高い。つまり、電子の歌姫ベティフラの「人体」向きだ。



「あら」

 かすかな入室音が静かな部屋に響いた。

「きみの検査の日だったねえ」

 この引きずるような足音は知っている。声も。姿は知らないが、間違いなく僕とベティフラの担当の一人。検査中で寝ている僕へ一方的に話すのが好きなドクターだ。

「カレーの唄、さっき街で流れてたよ。良かったよねえ」

 噛み締めるように言う。自己申告では涙もろいらしい。他の事なら唐突な話題で唐突な声色なのだが、ディーヴァ・ベティフラの歌声を街角で耳にして、何かに感じ入ってしまうのは皆に許された事だ。きっと。

「うんうん、ベティさん、どんどん人間らしい歌になっていってる気がね、するよねえ。きみのおかげかなあ」

 ……。

「わたしとしては好ましい変化なんだよねえ、これ。いやあ、ほんと。お偉いさんの考えは分からないけどねえ、ベティさん、人間に理解が深いに越したことはないものねえ。この前のも、良いデータになったんじゃないかなあ。ラブ値*6が違うよねえ」

 ……。

「ほおんと、あと3年なんて勿体ないなあ」

 ……?

「まあ、きみはまだ知らなくていいことだからねえ」



 ……この検査を何十回と受けてきた中で、おそらく間違いないと、想像していることがある。
 多分、僕以外の人はこのポッドで検査を受けている間、意識がなくなる。外で何を言っていても聞こえなくなる。でなければ、ドクター達が僕に聞こえる距離であれこれ雑談していくわけがない。
 いつもと同じだ。僕は何も聞いていない。僕は知らなくていい。



「……ああ、きみを長母指伸筋*7のところで切ったら、ちょうどベティさんの身長になるんだねえ。このくらいかあ」

 ……僕は何も聞いていない。

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次話
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*1:3日前の国民匿名統計で、カレーライスの単体自炊率がとうとう50.0%になった。これは全自動家庭調理器による完全自炊調理も含む

*2:緑化コンクリートに薬剤を散布した匂い。ペトリコールに近い

*3:一般〜中程度の高度の建築物屋上によく用いられる1型緑化コンクリートには自然に大型植物が根付くことが稀にある。マザーツリーど根性大根ビルが有名。人為的に栽培に用いることも可能だが、雑草が生えやすくなり、耐久性もわずかに下がるためあまり推奨されない

*4:銃を模した玩具に詰めて弾の代わりに使う。即解性の生物分解プラスチックが使用されているが、この区域での使用は禁止のはずだ

*5:感覚を重力や外部刺激から遮断するポッド。肌温度の薬液に静かに浮かび精神を分離状態に置く装置の基本的な仕組みは百年以上前からあったらしい

*6:Love値ではなさそうだ

*7:脚の方