山の端さっど

小説、仮想世界日記、雑談(端の陽の風)

我がモノ電子歌姫の「外の人」14

「おはようございます*1
「おはようございます。久しぶりすね先輩。じゃない。退院おめでとうございます。言い方おめでとうで良いんすかね。大変っしたね」
「……ありがとうございます。お久しぶりです。ご無沙汰してます」

 災難に遭って以降初めて会う人からは言われる事がたくさんある。言う事も。やっと研究室のメンバー全員と挨拶を終えて僕は息をつく。

「今日から復帰すか」
「いえ、20日前から少しずつ」
「え。……俺、必要最低限はちゃんと研究室来てるんで。滞在のタイミング被らなかっただけっすよね」
「も、もちろん。皆さんからお聞きしてます……」
「俺は皆から先輩復帰したって聞かされてなかったんすけど」
「……」

____________________
前話(13話)
https://yamanoha334.hatenadiary.jp/entry/Diva.BettyFlyower_013
____________________


 研究室の中に変わったものはない。昨日来た時と同じだ。

「お休み中、交代で僕の研究を手伝っていただいたと聞いてます。ありがとうございます」
「まあ先輩の、ただプロトコルに従って世話して記録取るだけならそこまで手間じゃないすし」
「お礼になるか分かりませんが、入院中アーカイブを見ていたら気になる文献を見つけたのでお送りします。びこ……」
「尾骨文献*2?」
「尾骨文献です」
「ロストアーカイブ*3?」
「ロストアーカイブです*4
「……神か。いや宗教色出すの良くないんすかね。ヤバくないすか。ヤバいすよ。少なくとも豪運す」
「僕はあなたの研究に詳しくないので、内容が役に立つかどうか……」
「素人質問の文脈すね。じゃあ大丈夫す。あざす。あざます」

 僕だって役に立てば良いと思っている。



 20日間掛けた実験環境の調整もようやく終わり、僕はやっと入院中の記録に向き合う。やはり入院直後から絡繰細動*5がだいぶ減少傾向にある*6。気になるピッチが幾つか出ているが環境状態と照らし合わせてノイズを除いてみるまで有意なものかは分からない。音振動記録があるが、ほぼG-5St基音振動だ*7

 尾骨の研究をしたかった、とかすかに思う。後輩の彼は昔から今のテーマで研究すると決めていたそうだから、僕が先に始めていれば共同研究ができた。
 考えた事もない。研究テーマを決めた時、座動作研究に興味は無かった。勧められたのでもなく自分から望んで始めた。僕の体質もこの研究になら役立つ事がある。この世界で、世界で1人だけの研究分野にいるのは多分恵まれている。まだ大した成果はないけれど、僕がこの分野の最先端にいる。独りで。

「……007583*8……」

 観測機が何かを読み取って、僕は画面から顔を上げる。絡繰細動だ。テンポは違うけれど生物と同じように律動的に動く。そういえばメンバー全員が、擬似細胞の世話は生きている楽器を相手にしている気分になると言っていた。
 人間コミュニティで広く擬似細胞体を認めてもらう事が、僕の研究目的の一つだ。それまで研究を投げ出したりはしない。もしベティフラの事で何かあっても。


____________________
次話
https://yamanoha334.hatenadiary.jp/entry/Diva.BettyFlyower_015
____________________

*1:研究室の入室挨拶。口にする時刻で変化しない。僕の研究室のメンバーは特に話すことにエネルギーを使わないので、挨拶はどれも低く平坦だ

*2:彼の専門は、簡単に言うと人間の座る動作に関する研究だ。僕が片手間に聞いた程度では理解しきれない論理を経て、学術論文アーカイブには絶対に残らないような、卑近な生活記述や細かな過去の生活データを大量に必要としていた。その一つが尾骨の痛みについてのものだ

*3:元々匿名で焚書対象文書データを隠し置くための巨大電脳空間で、今ではデータ化を放棄されたありとあらゆるスキャンデータが集められる。アクセスは自由、匿名でのデータ追加も自由。データ削除は禁止。データ量は刻々と増え続けており、検索の効きにくい無秩序な情報空間の中から目的物を見つけるのは根気だけでは難しい作業だ。現物保管庫も有志団体により保持されており、紙ベースのものは公開住所に匿名で送り付けることができる

*4:実際は院内図書館に管理不足で半ば放置されていた実本書架で発見し、データ化の許可を得た。正直に言うと入院先が割り出せる可能性があるので嘘だ。ロストアーカイブ内にも同データを追加しておけば、「たまたまアーカイブ内で見つけた」という可能性を100%否定できなくなる。狡いロストアーカイブの使い方だ。そしてそのせいで、アーカイブ内には重複文書が大量に含まれていると推定されている

*5:擬似細胞独特の振動パターン。乱暴に言えば、生物進化の流れを辿らず機械的なシステムで設計された細胞体の示す独自の拍動、独自の血の流れ、独自の筋運動、独自の骨振動などの事だ。僕の研究のメインテーマではないが、前提として擬似細胞の培養と機能保持の手法を確立させないと実用化できない

*6:誰が行っても同様の結果が得られないという事はプロトコルにまだ課題がある

*7:「自然の音動画」などに多く含まれ、心地良さを与えやすい音。自然に発生しやすいため実験結果にも簡単に混入する。僕は好きな音だが、心地良さを感じない研究者にとってはただ邪魔なだけらしく「ジェネラルゴースト」、ありふれた亡霊と呼ばれている

*8:今は恨んでいない