山の端さっど

小説、仮想世界日記、雑談(端の陽の風)

我がモノ電子歌姫の「外の人」20

「ありがとうございましたー」

 買った林檎飴と、サービスで貰った小さな飴を手に僕は飴専門店「ひいな」を出た。早速林檎飴に、ぱりっ、と歯を立ててみる*1。どう加工しているのか、口の中でアイスのように林檎は蕩けた。
 ……ここまではベティフラの指示通りだ。

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前話(19話)
https://yamanoha334.hatenadiary.jp/entry/Diva.BettyFlyower_019
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「『分かる? 林檎飴よ林檎飴』」

 レイニーグレールの事を相談した日、ベティフラはざっくりと言い切った。

「『最近の「レイニーグレール」の出没範囲あたりで拠点に出来そうな余地があって、林檎飴を作ったり売ってる店があるのはこの街の東の商店街しかないわ』」
(「何故林檎飴なんですか……?」)
「『夕暮れ5:30には林檎飴が合う。時間と待ち合わせ場所の特徴を言ってるみたいじゃない? 例えばアジトの。まあ、そんな事あんたに言う訳ないって思うのも分かるわ。でも聞きなさい』」

 ベティフラは僕の反論を封じて続けた。

「『この区域、周期の関係で警邏職員と警備ドロイドの監視が薄い*2のよ。数ヶ月の間だけね。DZ-ノ26番*3の見回り範囲でもないし。「あと少し」で問題が片付くんでしょう? その間だけ使う仮拠点を置くには良い場所じゃないかしら』」
(「そう、かもしれませんが……」)
「『農園にも近いわ*4』」
(「えっ」)
「『実際に拠点をピンポイントで見つけなくていいのよ。これが間違ってても、あんたの聞いたのが実は意味不明な怪文でも関係ない。あたしが最も拠点がある可能性が高いと判断した場所で、17:30の前後の間、林檎飴持って歩き回りなさい。あんたにそんな意味深な事言った人間ちゃんか、他の仲間にアピールすんのよ。「巻き込んだなら説明責任を果たせ」ってね』」
(「そんな事をして大丈夫なんでしょうか」)
「『話の通じない連中ならあんたに反応しないわよ。その時は諦めて帰って、改めて通報するか考えれば良いじゃない』」



 ……そそのかされてはみたが、うまくいくだろうか。
 危険はあまり無さそうだ。警邏職員の巡回が減るほど治安評価の高い街だし、夕方の商店街付近はけっこう人がいる。朝焼けさんも僕の位置情報を把握できる状態で、少し離れて待機してくれている。変装をして気配を消して*5いた。僕も顔が見えにくいように、顔が粗い透かし編みで覆われるタイプのフードを被っている。
 何かが起こるとは思えな、かった。

「どうして……」

 遠くに警邏職員の制服を見つけ、僕は動きを止めてしまった。
 ベティフラの情報ではこの時間、警邏職員の巡回予定は無いはずだ。たまに予定を変更して巡回したり、どこかで問題を解決していて予定がずれる事はあるとしても、これはおかしい。
 遠くからでも不審だったらしい僕の挙動に目を止める警邏職員の髪は、遠くからでもよく見えるアッシュグレー。
 担当区域ではないのに、灰色さんが来ている。
 まだこの距離で顔は見えていないはずだ。僕は灰色さんに背を向けて走り出した。焦ったような連絡が入る。

『ヒマワリ様!』
「す、すみません、逃げます!」

 分かっている。これでは朝焼けさんから離れてしまうし、ますます不審人物だ。でも多分、既に目を留められていた。近くに寄られて正体がばれたら、色々と疑われてしまう。見失うまで逃げないといけない。
 効率良く歩き回るためにこの一帯の地図を見ておいて良かった。僕は商店街を抜けた先の路地裏に駆け込む。この先は細いが、分かれ道が幾つもあるはずだ。

 ……急な工事が行われて、通り抜けられない状態にさえなっていなかったなら。

 立ち止まるしかない。道を戻ろうにも、夢中で来たせいで灰色さんがどこまで近づいてきているか分からない。走って追いかけられているかもしれない。まだ遠かったとして、大体の背格好を知られた後に、気付かれずにすれ違えるとは思えない。
 ただでさえ疑われているのに、こんな所で見つかってしまうわけには……



「あーもう何してんの?! こっち!」
「えっ」

 工事中を知らせる看板の後ろから青い銃口が出て、工事現場に置かれた機械のスイッチを的確に撃つ。引っ込んで今度は小さな手が出る。地面から現れた4枠のタッチパネルに、夕日、5:30を示す時計、林檎、飴の絵文字を素早く打ち込み、ぽっかりと開いた狭い穴へと僕を手招いた。



「お、お邪魔します」

 地下、は綺麗な通路になっていた。昔街整備に使われていた地下道でも磨いたような雰囲気……いや、今も使われている通路を間借りしているのかもしれない。

「……こんな仕掛けがあったんですね……」
「何、ダセー反応。まあ、ショージキあのヒントで使えるとは思ってなかったけど!」

 この子の事は覚えている。農園で会った人だ。こんな風に笑うところは知らなかった。

「そっちもディズィーに追われてんの?」
「ディズィー?」
「DZのナントカって奴でしょ、あいつ。たまに変な時間に急に見回りに来るんだ。色々探ってくるから嫌んなるよな。リーダーは『目眩がする』ってさ」

 DZ-ノ26番、灰色さんだ。レイニーグレールの事を気にしていたらしい。

「でも俺達こうやって逃げられっから絶対捕まんねーもんね!」
「あ、先ほどはありがとうございます」
「良いよ。前見逃してもらったし」
「……あの、その事なんですけど」

 言いかけた時、通路奥の扉から背の高い人が飛び出してきた。大人。白衣姿だ。

「おい桜! 喜べ、処置は完全成功だ!」
「えマジで?! 1回目で? 天才! さっすが博士!」
「思いつく限り褒めても構わんぞ」
「良かった……後は大丈夫なんでしょ!」
「ああ、体内に残っているものもワクチン接種を続ければ分解されていく……お、知らん奴。デカい新入りか?」
「いや、違うよ。……でも、それなら、こいつとゲヘナの様子見てもいい? こいつ無関係じゃないんだ」
「お前が言うならは構わんだろうが……」
「部外者がすみません」

 何と自己紹介しても理解されないだろう。僕はフードを脱いで頭を下げた。

「……ああ、もしや彼が、お前の鉢合わせた長髪の男」
「そーだよ」
「ならば私も行く。説明が要るだろう」

 白衣の人は扉の奥へ進み出た。

「許していただけるんですか?」
「ああ。一度現場を知られているなら、見せて都合の悪いものでもない」
「……この先が、農園に続いているんですね」
「撤収時には塞ぐさ。我々にはインフラ整備が得意なメンバーが居てね。ところで貴方、絡繰振動と擬似細胞体の研究をした事は?」
「えっ、あります……今もしています……」

 あまり注目度は高くない研究テーマだ。知っている人に出会うとは思わなかった。

「見覚えがあると思ったが、やはり貴方か。続けていて良かった。前に論文を見て気になっていたんだ」
「ありがとうございます……」
「期待しているよ。私は学会を抜けてしまったからな」
「貴方は何の研究を?」

 僕は使い込まれた白衣の背を見ながら聞く。

「私はしがないアナイアレーターだよ。音楽家ではないから、皆は錬金術師になぞらえてアニヒレストと呼ぶかな」
「……絶滅、させる者?」
「イエス。つまりは……」

 床が開いて農園の天井に繋がる。慣れていない僕は梯子を下ろしてもらって降りる。
 狭い室内の水槽の魚は、以前とは違う姿をしていた。体色が変わり、耐水性の包帯に胴を巻かれて細い管に繋がれている。

「……こうだ。紹介しよう。彼女はゲヘナ、ではない。現時点で、体組織の全DNAのうち79%超、支配的な細胞が別生物になっている」
「! 性染色体は」
「元々子孫を作れる遺伝子ではなかったが、念のため生存に不可欠な部分以外は全て除いてしまったよ。遺伝子組み換え生物をみだりに造り出す者としての最低限の配慮さ」
「……そう、ですか……」

 話が変わってきた。かなり。

「なー結局どういう理屈? 俺分かんねー」
「桜には何度も言っただろう。……私は生体の遺伝子組み換えを専門にしている。恐ろしく聞こえるかもしれないが、なに、ベースはガン化した細胞を正常に戻す技術さ」
「異常化してしまったDNAなどを元のDNAに直す治療法ですね」
「イエス。それを大胆に応用すると、ある程度生物の形質を生きながらに変える事ができるわけだ。つまり! ある生物からテラドミツゲヘナエクトカルペンなどという物質を合成する機構を破壊して、そんな能を持たない別の生物に書き換える事さえもできる。生きたままね。一つの生命の速やかな絶滅だ。今回は同時に新種が誕生する事になるな」

 その話が正しければ、レイニーグレールは脱法ドラッグの流通を行っているわけではない。逆だ。

「……それ、僕に言ってしまって大丈夫ですか」
「構わんよ。やりたかった処置は大半済んで、条例はともかく司法では手出しできないものになった。まあ、桜はガキにしては人を見る目があるし」
「ガキって言うな!」
「それに推しの研究者と事を構えたくないだろう? 穏便に済ませたいのさ」

 本心か冗談か分からない。僕は水槽に繋がれた機器を見やり、計測結果を確認する。バイタルは安定している。21.0%だった何かの数値がゆっくりと0.01下がった。

「何故、こんな処置を?」
ゲヘナの根絶が今回のプロジェクトだったからね。殺害は性に合わん。どんな生物にも、死ぬ権利と共に生きる権利はあるだろう」
「こういう事を、いつもされているんですか」
「こんな危ない仕事は初めてさ。ドラッグに関わる羽目になったのも予想外、この場所で処置する羽目になるのも予想外。桜が人と出くわしたと聞いた時はどうなるかと思ったが……おや」

 ドアがノックされた。エアガンが構えられるのを見て、僕は慌てて止める。

「大丈夫です」

 普通の人は農園の備品置き場に入ろうとするのにノックしない。ゲヘナの事を嗅ぎつけている人なら、わざわざドアをこんなに大人しくノックしない。

「だ、大丈夫じゃねーだろ。ここロック使えねーのに*6!」
「『桜』さん、『アニヒレスト』さん。もう一つだけ教えてください。ゲヘナは、もう作られませんか?」
「え……ああ。俺達、ゲヘナ作った研究所は潰してきたし。あ、別に犯罪とかしてねーから*7
「私からもイエスだ。貴方なら想像がつくだろうが、こんな生物を人為的に作り出せるのは偶然が大いに味方した時だけ。この一匹だけだ。彼女が我々の手元に渡ったその日から、在庫は増える訳がないからな。じきに枯れるはずだ」
「ありがとうございます」

 僕は頭を下げて、後ろ手に扉を開けた。

 背後から伸びた腕が僕の体を包んで後ろに引く。一歩、後ろに下がった途端に扉が閉まる。微笑んで見せる余裕しかなかった。
 そのまま朝焼けさんに背を押されて、地下農園の通路を進む。灰色さんはうまく躱せたようだ。

「ヒマワリ様、ご無事で何よりです」
「すみません、しばらく連絡できなくて」
「いいえ。通信は繋がっていましたから」

 何事もなく済んだのは流石に幸運だ。あの人達の言葉に嘘がなかったからだ、と信じたい。



「『そもそもよ? あんたの見たのがドラッグ製造現場だったんなら、深入りせず黙ってて欲しい時に「ゲヘナ」ってわざわざ口にするのはおかしいじゃない。普通そんな事言う奴はその場であんたに薬売って口止めしてくるわよ。でも、そんな事せず犯罪もやらないって言っちゃう人間ちゃんだったんでしょ? うっかり口にしたって事。迂闊ね。でもそれだけ警戒心と後ろめたさが無いのよ。疑ってみせたら何か釈明してくれるかもよ?』」



 ……ベティフラの言葉を思い出して僕は少し笑ってしまう。敵わない。敵いたいとは思わないけれど、ベティフラには敵わない。

「ご納得されましたか?」
「はい。きっとこれで良かったと思います」

 自分でも不思議なほど、晴れやかな気分だ。

「ありがとうございました。お陰で深入りし過ぎずに済みました」
「……深入りし過ぎずに?」
「ええ。あまり関わると、僕はろくな事をしませんから」
「……ヒマワリ様、それは」
「あ。そういえば、結局農園に無断で入ってしまいました……避けるために遠回りをしたのに……」
「あれは不可抗力です」
「そ、そうですか。でも」
「これが最善の手段でした」
「……ありがとうございます」
「ですので、これも最善の手段です」

 朝焼けさんは黒い小さな端末を取り出して農園システムに当てる。システムが起動して、農園担当者エラー状態のまま地上へのエレベーターが降りてきた。

「あの、これって、流石に……」
「ヒマワリ様。そちらの飴は?」
「えっ、お店の方にサービスで頂いたものです」
「頂いても構いませんか?」
「は、はい」
「ありがとうございます。では行きましょう」

 からり、飴を口にして朝焼けさんは僕の背を押した。どことなく満足気な顔で。

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次話
https://yamanoha334.hatenadiary.jp/entry/Diva.BettyFlyower_021
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*1:大抵の商店街は食べ歩き可能区域だ。かつて街景観保持のため禁止しようとした行政との長い交渉があったらしく、やはり大抵の商店街案内や記念碑にはその経緯が書かれている

*2:詳しく考えない事にするが、ベティフラには警邏職員巡回予定情報にアクセスする権限があるらしい。過去データから限りなく正確に予測できるだけかもしれない

*3:「灰色さん」。ベティフラの彼に対する評価は不明だが、職務内容からして少年非行グループとされるレイニーグレールを取り締まる立場なのは間違いない

*4:大抵何でも知っているベティフラは知っていて当然かもしれないが、一街民に過ぎない僕にとって、地下農園の配置は知ってはいけないし通常知る事もできない機密情報だ

*5:感覚優位表現だ……と言い切りたい所だが、実際に人の認識に残りにくくする手法というものは存在する。それらを組み合わせ、SPは本当に「気配が消えた」と表現したくなるような技術に昇華させている

*6:鍵を勝手に設置されたりすると困る施設の多くはプロテクトを掛けている。一つは後からのロック機構が追加できないように設計された固いシステム。もう一つは単純に、後付けの物理鍵を取り付けたり穴を開けたりテープを貼ったり取手を結んで固定したり、という工作を難しくする素材と表面構造、設計だ

*7:現行法令を並べて考えるまでもなく犯罪だ