「ああ、『レイニーグレール』。存じ上げています」
「雨の……杯?」
「恐らく『聖杯』です。宗教色はあまり無い集団のようですが」
朝焼けさんは、僕の話から検索で導き出した魚デザインのグラフィティ画像に、目をすっと細めた。
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前話(17話)
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レイニーグレール、ティーンエイジャーを中心に構成された非公認チーム。シアン色と魚をモチーフにしたデザインが特徴。改造エアガンなどの法令違反品を所持し、複数の夜の街に現れては喧嘩や揉め事を起こしているらしいが、活動の全容は知れない。噂によると、メンバーの多くが小柄で、違法な強化シューズや特殊なワイヤーアクションで軽やかにビル街を飛び回り、袋小路に追い詰めても一瞬目を離した隙に完全に姿を消してしまうそうだ。
「……隠し通路」
「あり得ます」
朝焼けさんはまた僕の髪に触れた。気にしすぎだ。エアガンでたった1回、結んでもいない髪を撃たれただけで痛みはしない。
「他に何の話をされましたか」
「ええと……林檎飴ってレイニーグレールに関係ありますか」
「それは聞いた事のない話です」
そこについては分からなかった。
「しかし、ゲヘナですか」
これも宗教的な意味合いを持つ単語だが、話によればレイニーグレールは宗教系組織ではない。
「ヒマワリ様。テラドミツゲヘナエクトカルペンをご存知ですか」
「はい?」
「安心いたしました。若年層の間で最近出回っている脱法ドラッグの主成分です。……毒性は低く、少量なら違法にはなりませんが、多くの街条令では固く禁止されています」
「ゲヘナ……あの、もしかしてその物質」
「合成が非常に難しく、その性質から不純物を除くのも難しいそうです。動物性の組織を多く含んでいるとか」
最近新種が見つかったという報告は聞いた事がないが、そういう特殊な物質を合成する生物は植物だけではない。*1
「……そうは、見えませんでした」
「そうでしたか」
「通報、するべきだったんでしょうか……」
「そうは思いませんが。ヒマワリ様は脅されており、ゲヘナを知らず、街民に通報の義務まではありません」
朝焼けさんは正しく仕事をしている。秘密を守って話を聞いてくれるようお願いしたから、どんな話になってもそのまま聞いてくれている。SPの仕事の範疇なのかは分からない。
「……詳しくお知りになりたいですか?」
「え?」
「彼等が定期的に訪れるポイントが分かるのなら、調査は可能です」
そうだろうか? 農園区画番号は分かるが、一般街民が農園へ行けるのは担当の時だけ。座標は安全のため公開されていない。
「…………いえ、きっと僕が知らなくて良い事です。それに褒められるような事をしたわけでもありませんから……」
「畏まりました。今後は、彼等に巻き込まれそうな時、私にご連絡下さい。直ぐに、必ず、お助けします」
言葉が甘すぎる。
感覚優位表現だ。甘いのは朝焼けさんの差し入れの蜂蜜金平糖*2だ。……それと、リップグロスを模した水飴。唇の保湿に良いと言われて少しだけ付けてみたが、たまに口内に甘味が入り込んできて気になる。
「あ……あの、そういえば『灰色さん』の事で、何かありましたか」
「進展はまだありません。改めて周囲を洗いましたが、今のところ法令違反や職務規定違反にあたる話は出ていません。警邏職員という仕事柄、断言はできませんが*3」
「そういうものですか」
「はい。何であれ、ヒマワリ様にこれ以上危害は加えさせません」
「まだ何かされた訳では……」
「既に対策は講じています。ご安心を」
朝焼けさんは、ふと僕を見て身じろぎをした。
「もしかして寒いですか?」
そういえば節電設定にしていた。室温設定を上げる。
「少し時間がかかりますが*4、これで暖かくなると……何か?」
じっと顔を見られている。
「やはり」
夜色から朝色に移る空を塗り込んだ爪が、1本、僕の唇に引っかかった髪を払った。
「……残念ですが、ベティフラ様から伝言です。球型ドライヤーにはトリートメント機能があるので、余裕がある日には使うようにと」
「はい? え、そんな機能……」
「30分単位で使用可能だそうです」
「……使い方を教えてください……」
「喜んで」
朝焼けさんはまた僕の髪をひと掬いした。
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次話
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*1:芥子の違法栽培の逮捕者が未だに数年に一回は出るのは、他の手段で大量に薬物を合成するのが難しいからだ。もし簡単なら摘発は難しかっただろう
*2:六角形に見える形をしている。キャンディー専門店「ひいな」の飴は独創的なデザインや製法、アイディアが人気で、ベティフラもハロウィンイヴに口にしていた。確か、食べた途端に綿飴に変わるうず巻きキャンディだ
*3:SPの視点だろう。職務で違反者と対面する事のある者が影響を受けたり裏取引を行っている可能性は否定できない、という事らしい
*4:この部屋の室温・湿度調節は設定してから部屋全体に反映されるまで30秒もかかる。僕の部屋のQOLはベティフラ曰く『街最低水準』だ。最新型の球型ドライヤーが入った事で『少しマシ』になった