山の端さっど

小説、仮想世界日記、雑談(端の陽の風)

我がモノ電子歌姫の「外の人」21

「おはようございます先輩。今日は感謝す」
「おはようございます。いいえ、空いていて良かったです。どこまで案内を?」
「まだ学内だけす。これから研究棟す」
「了解です」
「研究だけやってたいすけどね。でもそういうの非効率らしいすね*1

 僕は研究室の後輩は後ろをついてくる訪問者に聞こえないように少しだけ話をした。

「ですね」

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前話(20話)
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 どんな小冒険の後にも日常は来る。
 僕らは研究室訪問に来た他大学の学生を案内していた。この時期に訪問者が来るのは一般的に珍しくないが、この研究室に来るのは珍しい*2
 訪問者は2年生。進路決定までまだ余裕がある学生の対応は気が楽だ。

「この先がメインルームです。メンバーには許可を取っていますのでどうぞ。失礼します!」

 今日メインルームに居るのは先輩2人。確か論文執筆と無意思骨振動音実験の最中だ。うめき声のような「どうぞ」が1つ聞こえたのを確認して入る。
 ……やはり論文の方はスタックしているようだ。ドーナツ型の大机の上にホログラムの文章が大量に浮かび、千切っては並べ替えて繋げる作業を繰り返したような構造ができている。その中心に埋もれて、先輩がぶつぶつと呟きながら図をいじっていた。呟きの中に「ごゆっくりどうぞ」が混じっていたから、まだ先輩基準で余裕はあるらしい。
 もう1人の先輩は研究用ホワイトボックス*3の中だ。半透明に切り取られた遮音空間の中で実験しているのがかすかに見える。

「ホワイトボックス、初めて見ました!」

 訪問の学生は目を輝かせている。どこかで見かけた顔のような気がしたが、ずっと思い出せない。向こうからも何も言われないので大した関係性ではなさそうだ。

「学生だと見ないすよね。国家資格と許可必要すからね。俺も資格は持ってないす。先輩は」
「僕は取ってます。研究内容次第ですよね」
「すね」
「確か、お二人の研究は」
「63-6908-652*4文化的座動作研究と」
「40061-1-1へリアンサス擬似細胞体研究です」

 どちらの研究スペースも今見せられない状態なので軽く内容を説明するだけだ。後輩の方は実験用の椅子を一脚試作中でまだ内部構造が丸見えの状態。僕の方は擬似細胞体が不安定になっており、しばらく外部要因を入れたくない。

「……凄いですね! 僕、この研究室の人体シミュレータと関連研究が凄いと聞いて、ぜひお伺いしたかったんです!」
「教授が喜びます」

 僕らの研究内容はこの研究室では必然だ。室長である教授が開発・改良している人体シミュレータの使用が欠かせない*5
 僕は後輩と少し視線を交わす。教授の研究室に来てみたかっただけなのか、加わりたい意思があるのか読み取れない。といって、今のところ確かめる必要もなかった。

「では、教授は不在ですがシミュレータ専用機の見学に……」
「あ。の前に。さっき先輩に擬似細胞の事で質問あるとか言ってたすよね」

 後輩の言葉に僕は身構えたが、学生は笑って首を振った。

「あ……いえ、大丈夫です。これまで見せていただいて何となく分かってきました」
「?」
「爪を隠すのも生き方ですよね」

 反応できずにいるうちに、後輩が場を進めていった。





「……本日はありがとうございました! とても有意義な時間でした!」

 笑顔で学生が去っていくのを見送って、僕は研究室に戻る。今日は予定を入れていなかった後輩も、一緒に来て少し作業する事にしたらしい。口にはしないが、あの意欲ある姿にあてられて2人とも研究意欲が高まっているのが分かる。
 ただ……。

「少し気になったのですが、僕が来る前、僕の事をどう説明したんですか?」
「普通すよ。擬似細胞の話。あと精々ベティフラの話っす」
「え?」

 ベティフラの話?

「先輩プライベート話さないじゃないすか。だから前少し言ってたベティフラ好きとかしか知らないっす俺」
「隠してはいませんけど……」

 隠すような事ではない。しかし、わざわざ僕を学生に紹介する時に付け加えて言う事でもない。

「? だって先輩ベティフラ好きだからこの研究してんすよね」
「?!」
「擬似細胞の性質使って一番ヤベェの生体ドロイド分野すよね。多分。機械と相性良い独立可能な生細胞。ベティフラとかの高次AIが機械の脳でリアルな肉体持てるようになるとか。そういう野望だと思ってたんすけど。俺。もしかして違ったすか?」
「そ……そんな大それた所までは、考えて、ません、でした……けど……」

 将来的にそういう利用可能性がある事を、僕は論文に記載していなかった。爪を隠している、というのはその事だろうか。

 全く夢想しなかった訳では、ない。
 遥か昔、どれだけ無駄でも非効率でも人型の1人乗り戦闘ロボットを人類が作ったように。実現可能になるまで小型機械一つで空を自在に飛ぶ事を諦めなかったように。

「先輩ほんとベティフラ好きなんすね。レアな顔っすよ」
「……はい……」
「俺嫌いじゃないすよ。そういうモチベ」
「…………ありがとうございます……」

 研究を始めた当初は考えもしていなかったけれど、自然と夢見はした。僕の生きているうちは間に合わなくても、研究を引き継いでくれる誰かが、擬似細胞の実用化まで漕ぎ着けられないだろうか。僕のようなデータ接続可能な体質の人間が2度と現れなくとも、ベティフラが電子空間を抜け出して世界に触れられる媒体を、遺せないだろうか、と。
 ……誰かに気づかれているとは思わなかった。



「あの……もしかしてこの話、前にも他の人にした事あります……?」
「前。なんか一度あるっすね。名刺渡されたんすけど警邏職員とか*6
「ああ……そうですよね……*7

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次話
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*1:研究だけに専心する生活より、学生と交流したり他業務を兼務する生活の方が研究成果が高いというデータがある。しかもかなり古くから知られている事だ

*2:狭いマイナーな分野の研究室は数が少ないため、来る学生の全体数も少ないし、学生側も訪問先が少ない。僕らの研究室の訪問時期ピークは5月で、7月頃には終わる。既に来年の応募が1名いるかどうか程度だろうと目処をつけて、ある意味油断していた。今回の訪問依頼があった時、既に研究予定をしっかり入れてしまったメンバーが多く、訪問対応が後輩の彼以外はできない状態だった。僕は研究の待ち時間で少しだけ入ったヘルプだ

*3:空間、音、光などを一時的に遮断する箱状シールド。警邏職員などが尋問や安全確保のため用いるブラックボックスとの違いは、外から見た色だけではない。完全な遮断は行えず、許可された場所や時間など限られた条件下でしか展開できない。とはいえ危険な効果を持つ事に変わりはなく、ブラック程ではないが国家資格が必要だ。僕らの研究室では大抵、微弱な音振動を計測したい際の音遮断空間を作るために用いられる

*4:研究体系が太陽系統一される事になった時、特に「神聖視」される研究分野以外の番号付けは、研究者人口や研究費順や申し込み順でかなり適当に行われたらしい。研究体系番号1-1-1、象徴となる研究を何に定めるかで酷く揉めたせいだ。結局、その番号は欠番に指定された

*5:ただシミュレータを使うだけなら世界中どこでも可能だが、条件を壊して、つまり、人体らしからぬ条件を入力したり根底条件を弄ったりして使うには発明者の教授に毎度十分な説明をし許諾を得る必要がある。数回ならともかく、毎度のように条件壊しが必要になる僕らのような研究を外部で行うのは実質不可能だ

*6:警邏職員との接触は行動ログに残り、警邏職員の公開情報もそこから確認できる。大抵の警邏職員はそれを身分証提示代わりにして口頭でしか自己紹介しない。わざわざ電子名刺を渡すのは名前や連絡先を印象付けたい人だけだ

*7:9話