曇天*1だ。直接的な熱気は和らぐ代わりに湿度はかなり高まる。僕の今日の予定にはあまり関係ないけれど。
「『長々と休ませてもらってすみません。ありがとうございます』」
「うんうん、お土産ありがとうねえ。まだ休んでて良かったんだよー」
「『いえ、落としま……』」
「うん?」
「『ま……落とし前をつけようと思いまして?』」
「迷って結局言っちゃったねえ」
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今日は人が少ない。ラボの中をウロウロしてみると、休憩スポットに後輩が座ってくつろいでいた。
「『お疲れ様です』」
「す。……あれ先輩。今日も休暇って聞いてたんすけど」
「『用事が早く終わりまして』」
「それで来るの休暇じゃねっす。休暇実績返上すね*2」
「『大丈夫ですよ。今年はだいぶ休んでしまってますから』」
「あと入院は実績外す」
「『あはは……』」
座っているのは見慣れない形状の椅子だ。その事をそっと伝える。
「『その椅子どうしたんですか?』」
「あ、そした。出来たんすよ」
「『尾骨楽々椅子?』」
「尾骨楽々椅子す」
……念のため、これはラボ内での仮呼称だ。後輩のネーミングセンスの問題ではない。命名者が誰だったか誰も知らないまま定着してしまった。
折角なので座らせてもらう。
「『! これは心地良いですね……』」
3Dプリンター出力可素材で出来ているとは思えない、柔らかい座り心地だ。
「っし。4勝1敗1保留す」
「『尾骨タイプ*3別の感覚差詰めているんでしたっけ』」
「す。理論も先行研究も今いち条件分かんねんすよね」
少し揺らしても重心を心地良く保ってくれる。……少し揺らしすぎだ。
「『……もしかしてこれ、一部手作りパーツある?』」
「よく気付いたすね! そうす。強度と柔軟性足りなくて外注パーツなんすよここ」
「『ああ、それで』」
「1ヶ月分の問題スタック全部金で解決す。ところで先輩」
「『何でしょう』」
「休暇中に雰囲気変わった感じすね。感覚優位すけど」
「『……そうでしょうか』」
研究室はそこまで広くないのだが、探していた人を見つけるまでにはまた時間が掛かった。白藤さんは空き部屋の奥に、まるで僕を待っていたように立っていた。
「『先日は本当にありがとうございました。これ、お土産です』」
「ああ、有り難く受け取ろう」
あっさりしたやり取りだと思っていたら、奥のテーブルを示された。2人分の準備がしてある。
「『……システマスケッチ*4……』」
「忙しいか?」
「『……いえ、スポット観察程度でしたら大丈夫です』」
ハーブティーを奢られそうになって止めて席に着く。
今日の観察試料もマイナーなものだ。見たままを描けばいいとは言っても限度がある。やはり人と話をしたい時の建前には向いていない。
「どうだ。あれから練習はしていたか」
「『ええ。あまり上達した気はしませんが』」
その前に、完全な僕の腕とは呼べない。
「『……』」
「……」
「『……あの、白藤さん。もしかしてなのですが』」
「何だ」
「『何か話し辛い要件があるんでしょうか』」
逆だろうか。スケッチ作業が話すのに向いていないのではなく、話し辛いことを話すからそちらに集中しすぎないようスケッチを用意したのだろうか。
「……貴方は存外率直だ」
「『そうでしょうか』」
「ああ。今日は際立って話し辛い。そもそも、私と貴方の関係で秘密を探り合うのは野暮が過ぎるだろう。承知の上だ。それでも聞かねばと思っていたのだがな」
「『だが……?』」
白藤さんは不意に立ち上がって僕の手元を見た。
……これまでの僕のスケッチとはかなり違うのが明らかに分かったはずだ。筆圧も描く順番も重要視する物も。しばらくスケッチを続けていたり専門家のアドバイスを見たりした程度でここまで変化する事はまずない。
「……今日の、貴方は……」
「『何でしょう』」
「貴方は誰だ。何者だ?」
ほんの少しだけの沈黙。
ベティフラはにっこりと微笑んで口に指を当てた。
「『秘密です。野暮なので……』」
僕も同意見だ。僕の姿で僕として皆に謝りたいというベティフラなりの、「落とし前」はこのくらいが良いのだと思う。
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