山の端さっど

小説、仮想世界日記、雑談(端の陽の風)

我がモノ電子歌姫の「外の人」28

『うん、皆揃ったかなー? ごめんね、ちょっとぼく今病院からねえ、出てますよー』

 僕の研究室では教授の会議招集に全員が集まる事は少ない。年単位で久しぶりの事だ。画面に映る教授が白衣とスポーツウェア以外を身につけているのも久々に見た。

「……え、今教授、入院されてるんですか?」
『イエスエス、イエス。今個室。学会も近いのに悪いねえ皆』
『何したんすか。教授』
『ギックリ腰*1だよー』
「教授でもなるんだ……」
『うん、なるんだねえ。あ、面倒だから入院見舞いは受け取らないよー』

 ニコニコと微笑んでいるので何とも言いづらい。

『問題は起きないと思うけど、しばらくの事は皆に任せたよ、うんうん。それじゃあねえ、これから診察だから切るよー』

 何を聞く暇もなく、通信は切れた。

『……任せるって言われても』
「ええと……見舞いも断られましたし……」
『来客予定も教授の手伝いも返事待ち案件も無いすね』
「何だろ、運動不足組も気をつけようとか? まあうちのラボじゃ全員か。明日は我が身」

 先輩の言葉に全員で頷く。恐らくこの中で最も日頃の運動量が多く元気なのは教授だ。登山の為にこっそりジムに通っている僕など絶対敵わない。フィールドワークが必要ないのに普段から趣味として僻地へランニングやサイクリングで出掛けている。走行距離に比例して頭が回るマシンなんだろうと学生達が話しているのを聞いたことがある*2

「了解です」
『そすか』
「……ところで君、今日も来ないの? 椅子の部品グチャまほ*3状態だけど。教授あそこ通ろうとして転んだんじゃないの*4
『俺すか。今日はプリント日*5す。計算間違えてて全部品作り直しすから』
「じゃあ来て今あるもの全部片付けろ」


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前話(27話)
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 その後、折を見て僕は個人的に教授に連絡を取った。

「すみません、教授」
『うんうんいいよー。何かな』
「その」

 そっとメッセージギフト*6を送る。

「ささやかですが、僕が入院した時、とてもお心遣い*7を頂いたので……」
『うーん、そう言われちゃうと困るねえ!』

 貰っておいて返さない訳にはいかないが、ギフトは相手が受け取り拒否する事もできる。

『うんうん、そうだねえ、君からだけ受け取るわけにはいかないからねえ。代わりにひとつ用事を頼んで良いかなー?』
「用事?」
『イエスエス。学会とかは連絡すれば休めるけどねえ、これだけはそうもいかなくてねえ』
「……もしかして骨折されたんですか?」

 腰痛だけなら休む必要はない筈だ。

『……うーん、うんうん、そうだねえー。実は腰の骨をちょっとね』
「い、言ってください」
『言ったらびっくりするからねえ皆。後にしようと思って』
「いえ、すぐ言ってください……」

 お見舞いを受け取りたくなくて症状を軽く言っていた、などという理由ではないと信じたい。

「それで、用事というのは」
『簡単なお使いだよー。少し離れた街に荷物を届けて返事を貰って来て欲しいんだよねえ』
「そのくらいでしたらいつでもお受けします」

 郵送不可の荷物らしい。本来なら教授自身が届けるつもりだったのだろう。

『うん、それじゃあねえ。ラボのぼくの机に1つだけ、手入力キーボード式のロックが掛かった引き出しがあるんだよねえ』
「はい?」
『うんうん、普段は電子ロックの引き出しの中に入れてあるんだけどねえ、そっちは机のタッチパネルで27を選択してパスワード入れれば生体認証無しで開けるからー』
「いえ、あの」
『まず机のタッチパネル起動方法とパスワードはねえ……』
「あの?!」

 僕は冷や汗をかきながら機密資料入りの引き出しを漁った。『電子ロックの方は遠隔でパスワード変えられるから心配ないよー』と言う教授の緊張感のない声を聞きながら。





「失礼します」

 教授の電子委任状を提示すれば、驚くほど簡単にセキュリティは入室を許可する。僕は手のひらに乗るくらいのボックスを持って温室に踏み込んだ。中は冬でも適温と程良い湿気に保たれている。
 意外にも荷物の届け先は近隣大学の附属施設だった。いわゆる温室ビオトープ型の環境シミュレーション施設*8だ。上も階層構造になっているが、目的は地下階だ。委任状権限階層まで降りると、無数の透明のボックスに入れられた鮮やかな植物が目についた。寄生植物群だろうか。そのまま進んで奥の扉に委任状を……かざすまでもなく、扉のロックが中から開いた。

「お前、いい加減しつこいぞ。私は学会には戻ら……なぁ……」

 教授が来ると思っていたのだろう。中から喋りながら出てきた眼鏡の背の高い人が、僕を見て固まる。僕も思いがけない事に動けなくなった。

「…………あ、『アニヒレスト*9』、さん……」
「……ああ……貴方には名乗ったな……」

 あの「レイニーグレール*10」の地下仮拠点で出会った謎の人だ。生体遺伝子操作のスペシャリスト。こんな場所で再び出会うとは思わなかった。

「きょ、教授の代理で来ました」
「代理? ……はぁー……バカか」

 段々と調子を取り戻したようだった。

「あの男に私の事を話したのか」
「?」
「違うなら良い。いや、どちらでも構わん。それよりだ、あの男は何をしている? こんな事でラボ生を使い走らせるなど怠慢だろうが」
「ええと、骨折で入院しました」
「何? 筋トレのし過ぎか?」

 僕は黙って空間に数時間前撮られたビデオを表示再生した。

『やあごめんねえ。事故っちゃった! 些細な事だから入院見舞いは絶対受け取らないからねえー。送らないでねえ。受け取らないからねえ』

「……何だこれは」
「入院の話が出たら再生するようにと言われました。あの、本題では無いと思います」
「そういう事ばかりするな、奴は。頭のネジを自ら改造して嵌らないようにしているのか。どうせラボも妙なからくりや改造仕掛けばかりなのだろう?」
「流石に教授のスペース周りだけです」

 このボックスを納めていた机とか。

「面倒だ。どうせ私の言動に合わせて幾つかの動画を出し分けるように指示を受けているんだろう? クリティカルなものだけ見せてくれ」
「いえ、あと渡されていたのは1本だけです」

 再生すると教授は開口一番、『君が面倒臭くなるだろうからねえ、あとはクリティカルな話だけにしておくよー。ぼくも楽だもんねえ』と言った。

「っ〜、お前は! ……いや、止めなくて構わないさ。続けてくれ」
「あ、あの、今更ですが僕、席を外しましょうか」

 動画は転送できるし、荷物を渡せれば、ほぼ僕の役目は終わりだ。

「今更だな。だが、確かにあの男……教授と私の面倒話に巻き込むのも……いや、そうか。今更だな」
「?」
「貴方が教授にメッセンジャーとして目を付けられた時点で手遅れだろう。このまま再生してくれ」
「それは、良……」
「この世の全てでなくとも、多くの事柄には良いも悪いも無かろうさ」

 何かとんでもない依頼を受けてしまったのかもしれない。僕は続きを再生した。



『それでねえ、君、これが片付いたら、ぼくのラボに来ないかな。うん、学界じゃなくってね。一般研究生』



「は?」
『まあー、どこまで君が面白がるものがあるかは分からないけどねえ。でも面白い場所は作ったつもりだよー』

 一般研究生制度。通常の大学過程、マスター、ドクターや認定試験を経ない人を特定分野で受け入れる制度だ。異なる職業人の兼業としての研究業など多様な研究スタイルを可能にするし、定員の少ない研究室やサポーターを多く必要とする研究室でのプラスの人員受け入れと門戸解放手段でもある*11

『考えてみてねえー。それじゃあ、治ったらまた遊びに行くねえ』

 そこでメッセージは終わった。

「……」
「……あの、うちの教授がすみません」
「いや……驚いただけだ。貴方は内容を知っていなかった風だな」
「はい」

 以前会った時に、学会を抜けてしまったと言っていた。一般研究生は学会に関わる必要がないとはいえ、不躾な話だろう。それに。

「あの、多分、既にこちらの大学の一般研究生ですよね」
「いいや」
「え」
「ここは伝手で借りる事があるだけでね。手続きは面倒だが、認可があれば関係者でなくとも施設を使用できる。非常に面倒だが……はぁ」

 深く息を吐いている。

「……貴方、6日後の昼、今日と同じ時間にここに来れるか」
「ええと、可能だと……思いますが」
「ではまた来てくれないか。教授には、その後で決めると伝えてくれ。これが私の返事だ。では」

 言い終えると「アニヒレスト」は、ボックスを受け取って僕を急かすように帰らせた。



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次話(1/28(日))
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*1:急性腰痛。現代人は身体柔軟性が極めて低水準とされているが、腰痛を引き起こすような身体活動を行う事も稀のため、発症時には身体機能向上の指導と共に、無理な日常活動を行わないように、という生活指導が行われる

*2:曰く、「にしても走り過ぎだからぶっ飛んだアイディアが生まれちゃうんだろうな……」

*3:汚部屋でたまたま構成された魔法陣から召喚されてしまった不完全悪魔と一人暮らし青年の奇妙な同居を描く日常コメディ漫画作品の通称。来年初アニメ化予定。及び、床に魔法陣が偶然にも出来ていそうな妙に秩序ある汚い部屋

*4:後輩の名誉の為に言っておくと、散らかされているのは人の行き来が行われない、どことも接続していない後輩専用の小部屋の中だけだ

*5:パーツを立体プリントする作業日。座動作研究を行っている後輩は自前の小さなプリンターを持っていて、小パーツはラボや学内共有設備のプリンターを占領せず自室で微調整しながら出力する。ラボ滞在時間がメンバー内で最も短いのもそのためだろう

*6:誰でも使っている某SNSのものだ。秘密裏にメッセージや電子マネー、電子アイテム等をやり取りできる。見舞い用なら「結び切り」や「あわじ結び」のシンプルな水引デザインがお勧めらしい

*7:具体的にはお見舞金

*8:温室の体を取っているが、あくまで建築形式による区分で全てが温室として使われている訳ではない。階ごとに日光を遮断したり過酷な環境にする事も可能

*9:20話

*10:若者を中心とした非合法集団。活動内容は不明、シアンカラーの魚のロゴと改造エアガンがトレードマーク

*11:研究室にも受け入れで利がある風な表現をしたが、実際は一般研究生が人手や多様化に貢献するとは限らない。研究者界隈とのコモンセンスのズレや研究時間の差異、学会での研究発表を目的としていない彼らとのテンポの違い等により、トラブルが起きたり敬遠される事例も多い。ただし、一つ確かな利はある。一般研究生等を受け入れた研究室には補助金が交付される