山の端さっど

小説、仮想世界日記、雑談(端の陽の風)

我がモノ電子歌姫の「外の人」29

「こんにちは」

 6日前と同じようにビオトープ施設の地下に入ると、最初から奥の部屋は開かれていた。

「入りたまえ。ちょうど準備が整った所だ」
「準備……?」

 中に入るとハーブティーの香りがした。テーブルには、小さなクリアケースを挟むように2対のタブレットとレンズが置かれている。

「もしかして……システマスケッチ、ですか……」



____________________
前話(28話)
https://yamanoha334.hatenadiary.jp/entry/Diva.BettyFlyower_028
____________________



「……つまり、近年のニヒリズムには総じて大局観が無いな。早く言えば薄い。己が煮詰めたのでもない厭世観の溶液から生まれる結晶を磨いていれば良い時代は終わっただろう」
「それは……」
「いや、今はエコーチャンバー*1で眠る赤子か」

 通称システマスケッチは葉を構成する細胞の微細構造や内生菌、表面の微生物叢*2を特殊な照明と器具で観察し、記号を用いて模式的に示す方法だ。早く言えば、生物学観察の基礎中の基礎練習課題。難しい話と相性が悪い。

「あのパーソナライズとかいう、ニュースまで趣味嗜好とやらに合わせて自動でカスタムする馬鹿機能のせいだ。報道くらい一斉配布しろ。あれで正しく世情を認識出来るか?」
「その、被識拡大プログラム*3もありますし」
「ち。これだから壇戦期を知らん奴は」

 壇戦。聞いた事はある。2、30年前、世界的学会が次々と大きな論争に巻き込まれ、激しい対立により分裂しかけたという話だ。しかし、「アニヒレスト」は知っているというのだろうか。

「何か勘違いしているようだが、私はあの男……貴方の教授の1年後輩だ」
「えっ」
「若く見えるのは努力の正当な成果として満足だがな。壇戦の直接の目撃者だ」

 アニヒレストはスケッチの手を止めて笑った。

「といっても無知な若者の目だ。何が原因で知識人どもが論舌を捨て、目の前で殴り合いなど始めたのかも全く分からなかったよ。理解できていれば今ここに居られないだろうしな」
「今の……今の状態に満足されているんですか」

 しばらくして深いため息が聞こえた。

「……貴方はだな」
「は、はい」
「……手を止めるな」
「アニヒレストさんも止まっています」

 思わず反論すると「『白藤』だ」と重々しい返事が返ってきた。

「呼びづらいだろう。白藤で良い。……別に手は止めても良いが、話は止めるなよ。今適当に話を切り上げようとしただろう」
「それは……」
「今は完全に、壇戦期を目にしたかつての若者が、学会で我が物がる魔物どものエゴイストと屁理屈と腐敗とに疲弊して袂を分かち、やがて非合法集団に与して芽生えた己の信念を実行するようになる……までの流れを打ち明けながら、己の内心を整理する所だっただろう。流れを断ちやがって。ようやく私が向き合おうとしたのに、そちらが逃げてどうする」
「僕は、教授の代理ではないので」
「わざわざ二度目を来てくれてまだ言うか?」

 と、言われても少し困る。今日なぜ呼ばれたのかも分かっていない。秘密を聞く作法も知らない。

「少し状況を紐解くか。あの男……教授は私の返事を聞いて何と言っていた?」
「特には……悪いけどもう一度お使いをよろしくね、とだけ。何をしろとも言えとも言われていません」
「そうか」
「……笑っていました。あの、楽しそうに」
「フン。手駒扱いされたと怒って良いぞ」

 困ってスケッチに目を落とす。ぐちゃぐちゃだ。環境システムは学生時代科目を取っていたのに、一度も見た事のない構造のような気がしてくる。

「あの男は私の事情を大抵知っているよ。明かしてはいないが、レイニーグレールの事も勘付かれていると思う。止めたいのかと思えば何も言わない。なんなら研究室を持っている前提の試料分析の仕事など非公式に依頼してくる」

 僕が6日前に持って行ったボックスの中身も、そういった依頼品だろうか。あるいは物品報酬か。

「……絆されろと思っているのかな。そろそろ、若者を支える『内の人』になれとね」
「それは違います」

 その意味はピンと来なかったが、表現が引っかかって僕は口を挟んだ。

「ルール上、一般研究生も個別の研究テーマと課題に取り組む活動が保証されています。一般生が本研究生のサポートばかりさせられる実態が度々報告されているのは、それが正しくない運用だからです。教授ならしないはずです」

「詳しい口振りだな。もしかして貴方、一般研究生について色々調べてくれたのか?」
「は、はい」
「ふむ。話を聞きたくないのかと思ったが、存外乗り気じゃないか」
「それは、この件に僕が関わるのは筋違いかと思いまして」

 可能なら今からでも僕を外して教授と2人で通話してほしい。アニヒレスト……白藤さんと話していると、この星に通信機器が無いか通じない場所があるのかと錯覚しそうになる。当然今居る普通の大学附属施設内では使える。
 などと考えていると、白藤さんが僕の手元のスケッチを取り上げた。

「下手だな」
「恥ずかしながら、スケッチ課題単体で合格点を頂いた事はありません……」
「だが初見の生態系スケッチとしては及第点だ」
「初見?」
「テキストに載っているようなお綺麗な環境ばかり描かされてきただろう。現実の生態系は複雑怪奇、というのもお約束として学んだか。しかし現実というのは条件のパッチワークだけでも説明できない」

 もしかして。このフロアは寄生植物群エリアだ。一見普通に見える観察対象の葉も特殊なものだったのだろうか。拡大鏡の中を見直してみても違和感までしか感じ取れない。

「私が絶滅させた寄生真菌を含む叢だ」
「はい?」
「昔だよ。正確には、この大学施設に収集されていたこの標本ケース内を除いて、この星に生息していた真菌を全て根絶やしにした」
「そんな事、出来るんですか……?」
「面倒だったよ。だが、一部の鳥類に面倒な感染症を媒介する性質を持っていてね。放置できないと思った。生態系の変容も含めて意外と上手くコントロールできたと思うが、心残りは存外に生態系図が美しい形をしていた事だ。このケースの中まで絶滅させる気にはならないな」

 設備の破損は犯罪です、とは言わなかった。無視はしないがそこが本題ではない。僕には観察しても気づけなかったような繊細な美学の話をしている。
 どんな構造が美しかったというのだろう。そっと白藤さんの手元を覗き込むと、全く読めない線の集合体がスケッチ紙の上に載っていた。

「……」
「……下手だろう。私も苦手でね」
「い、いえ」
「正直最近、技術の幅を広げる為に体系的な学びを得たいとも思っていた。我流には限界がある」
「と、いうと」
「一般研究生というのも悪くないと思っているよ。学壇に寄る気はないし、『本業』が忙しいため頻繁には来れないだろうがね。誰かに頭を垂れるならあの男が、まあ、適任だろう」

 僕無しで話がまとまってきた。

「……教授に伝えてくれ。本業で大きな案件を抱えているから、それが終わり次第正式に手続きを願いたいと」
「はっ、はい」
「これから私に妙な気遣いをするのは止めてくれよ、先輩。……と」

 白藤さんは静かに笑んで、スケッチ紙をクシャクシャに握った。

____________________
次話(30話)
https://yamanoha334.hatenadiary.jp/entry/Diva.BettyFlyower_030
____________________


「……教授に直接伝えた方が良いのではないでしょうか……」
「貴方を経由した方が面白そうだから言っている。あの男の反応も見たくない」
「そうですか……」

*1:音の反響する小さな空間。同じような意見が増幅される狭いコミュニティ

*2:「びせいぶつそう」。葉の表面に棲む微生物などの作り出す生態系

*3:まさにエコーチャンバー、被識情報の偏りにより思考・認識ひいては常識観が偏るのを防止する為のプログラム。負のフィードバックとしてストックされた傾向の異なる情報を摂取する事で緩和される、というのがテキスト的な建前だ。最近気づいたが、僕の周囲の研究者にはそれほど好評ではない